時のすぎ行くままに


ここのところ、梅雨入り前の、爽やかな日が続いている。病院へいけば、車椅子で外に出て、ハーゲンダッツというのが、この頃の定番だ。

このひと月で、たぶん20カップくらい食べた。たしか110g 240kcalだから、2㌔と200g、4,400kcalをたいらげたことになる。

妻が食べるのは、1回につき約5g程度だろう。ということは、、、あぁ、恐ろしい。恐ろしい。

それにしても、さわやかな風の中でいただくハーゲンダッツ、バニラ、は、とても美味い。

いつもは、こんなことは考えないのだけど、今日は、ミュシャ展の最終日にやって来た。案の定120分待ちだ。もう1時間はまった。あと1時間か。

ラーメンもなにも、待つのが嫌いだ。待つくらいなら立ち食いそばでいい。だが、ちょっとまて、この考え方がダメダメちゃんなのではないのか?え?どうなんだ?

よし、待つことで本物が見れるなら待ってみよう。国立新美術館の外からヘビのようにクネクネと2列で整列しながら歩いたり止まったり。

それにしても、人は死んでも作品は残る。作品は時代を超えて、またその時代の人々を魅了する。

ぼくは今、森川美穂という歌手の制作をやっているけど、そもそも、若い頃からやりたかった事は、ずっとスタンダードを創りたいと言う事だった。

どんな時代にでも、人の心を揺さぶるスタンダードだ。実はこれは、作家だけや、歌手だけやご、出来ることではない。録音作品であれば、作詞、作曲はもちろん、アレンジ、歌手にあったkeyやテンポの選定、演奏者、エンジニア、そして歌と、全てがしっくりと、ストンと腑に落ちるように、作品が仕上がらないと、そのエネルギーは最大化しない。

これが、結構むずかしい。しかし出来る時は、すんなりと自然に出来上がる。若い頃に力んでいた、力の入れどころは、完全に的外れだったりしたな。そう言った意味では、今は、すんなり出来上がるそんな予感がする。材料は揃っている。

自然に収まるように、その様子を眺めるように無理せす進めれば、しっくりと出来上がるだろう。

その時がくるまで、待つのもいいもんだ。この列に並んで入り口を待つのも、そんなものだ。だって、並ばないと入れないし、入らなければ、ミュシャの作品を体験することは出来ない。

力ずくで進めば、たぶん、逮捕される。こんなに待つのが嫌ならば、もっと早く行動をおこすことが必要である。

でも、前に来た時に混んでいたからやめたんだよな。あの時、並べば、こんなに並ばなくてすんだだろう。

こうやって、ぼくらは、大人になるのさ。


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