Rehab

人生は勝ち負けではないことくらい知っているんだけど、妻をみていると、この人には負けられないと感じる。左手に、もうすぐ握力と呼んでいい程の力を取り戻してきている。そして、最近では、頷き、唇をとんがらせたYesのサイン、首をふるNoのサイン、の精度が増してきている。

今日は、夕方になってしまったが、少しの時間でもいいから端座位がやりたくて病院に来た。ここまで回復してきているのは、どう考えても、この端座位が大きい。人の脳は、寝てしまえば、眠くなる。やはり、頭を上にし脊髄に頭の重さを支えさせて、やっと脳は働き出すのだ。ベッドに寝ながら本を読んでも5ページも読めはしないのだ。

端座位をしていて、今日もまた初めての技を披露してくれた。頭を前に倒したポジションから、いつも左肩を自分で見るように左回転をしながらヘッドアップするのだけど、今日は、正面から上げて見せてくれた。これはすごい。たまにトライしていたのだけど、最後までやり遂げたのは、今回がはじめてだ。

そして、誇らしげにぼくの目を睨んでいた。
「あ、これね。このメガネ、今、とってきたんだよ。どう?いいかんじでしょ?」
「うぃ」・・・妻は、コロッケが真似をする美川憲一みたいに唇をゆがませながら「い」の形をした。
「わお、いいって言ってくれたんだ。すげぇ。ほめられた。わお。」

処置の時間がやってきた。プロの手際はいい。ぼくもいっしょに手伝って着替えを終えた。そして、次には看護師さんがきて、酸素量をはかったり、、そして、
「あれ?体温計なかったですか?」
「いえ、着替えたときには、気が付かなかったですね」
「おかしいなぁ、着替えた服をしらべていいですか?」
「はい、どうぞ。これです。」
「ないですねー、、、ちょっと、体温計もってきます」
・・・と看護師さんが離れたときに、妻に聞いてみた「あのさ、誰か体温計もっていったの?」
「う」
「あ、そう。じゃ、大丈夫だね。」

ぼくは、体の下などにはさまっていたら、いやだなと思ったけど、本人がそういっているから、大丈夫だなと思った。そのくらい、はっきりと明確に返事をしている。そう感じたからだ。

妻の病名は遷延性意識障害だ。平たく言えば、植物状態という意味だけど、いったい、どこが植物なんだよと思う。彼女の心の中には、言葉があふれている。ところが言葉のない人ですよとラベルを貼られたままだ。そのうえ、リハビリをしても治る可能性のない人というカテゴリーに入れられ、リハビリも半分に減った。幸い、拘縮予防のための最低単位のリハビリは認めてもらっている。

たしかに、国のお金の使い方という意味では、どこかにラインを引かないと仕組みはつくれない。そういうもんだということは理解しているけど、この遷延性意識障害というラベルはかなり強力な威力がある。このラベルのために困っている方も多くいるだろうといつも思う。

ぼくらの場合は、幸いにも、ぼくがある程度時間があって、さらにぼくが端座位をはじめとするリハビリを行っていいという許可がとれているので、リハビリが少なくても、そこは、ぼくがカバーできるから問題ない。しかし、それが出来ない人もたくさんいるだろうといつも思う。

この病院では、看護師さんたちが理解してくれているから、妻もうれしいだろう。みなさん、妻の反応を見て、ちゃんとコミュニケーションをとってくれている。結局、ぼくらは幸せな環境にいる。やっぱり人と人とのつながりが、とても大切。それは癒しにもつながる。

最初の頃は、声がけはしてくれていたけど、やっぱりラベルの威力が強くて、言葉のない人=脳が動いていなくてまわりの認識ができていない人という風に思われていた。それが数年つづいた。4年目くらいから、反応が出てきて、少しまわりがかわった。そして8年目をむかえた今は、みなが、妻には意識があると、たぶん、わかってくれている。ただ、医学的にその証明は出来ないという立場であるだけだろう。

めんどくさいものだ。目の前で起きていることを信じればいいだけなのに、ルールをつくれば、ルールにしばられる。むずかしいものだ。

文句ばかりかんがえるときりがない。面白いことに幸せなことを考えてみると、これまた考えれば考えるほど、多くの幸せに気がつく。なんだ、結局、自分の心しだいですべてが決まる。妻が今の状態でも、いい目をしているのは、きっと心が健全だからだろう。そう考えると、やっぱりとてもいい環境にいることができているすべてに感謝・・・となる。

さぁ、次のお出かけはスタレビだ。要さんの歌声を聴くと心が喜ぶ。2000人の喜んだ心が共鳴して、またもや、幸せになっちゃう。音楽は最高のリハビリだな。


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