情熱とお花見

朝、妻の元へいったら、看護師さんが「たぶん今日は大丈夫だとおもいますが・・・」という。??と思っていたら、昨日は38度の熱をだしていたそうだ。今朝、調子がよさそうな顔しているので「今日はお出かけだから、昨日熱をだしてすましたのね?」と声をかけたら、そうだと頷いたそうだ。おもしろい。なかなか、やってくれる。いいセンスだ。

妻の、気合の入った顔はすぐわかる。写真を載せたいけど、お化粧をしていない顔は載せない約束になっている。さぁ、雨は降っているが、寒くはない。満開の花見へでかけよう。

「ただ、ひとつ残念なおしらせがある。息子、嫁、孫達はこないよ」
「・・・(目を少し見開く)・・・」妻は、まだ二人目の孫とはあっていない。今日は、初対面の予定だった。相当、楽しみにしたはずなのだ。

「そうだよな。孫が38度の熱をだした。君の息子は家族を守るために、今日はこないよ。それがやつの今の役目さ。それは正しいぜ。そう思うだろ?」
「・・・・(うん)・・・・」ゆっくりとうなずいた。いい目をしている。
「そうだろ?家族をもったんだ、それが役目さ。いい家族になったな。」
「う」・・・これは、私もそう思うという意味だろう。

「OK、じゃぁ、君のその調子のよさそうな顔を正面から写真にとって、送ってやろう」
写真嫌いの妻は、いつもなら、絶対にカメラに顔をむけない。そして、顔を横にそらし、目を二度とあけない。心の底から、写真を拒否して、大嫌いだと態度で示す。

ところが、今日は、カメラのレンズをしっかりと睨みつけるように挑んできた。
これは、息子へのメッセージだ。「あたんたが家族を守るのよ。しっかりね。がんばりなさい!」・・・というメッセージを示したものだ。この人は、ちゃんと態度でそのメッセージを表明したりするんだな。たいしたものだ。

さぁ、今日はお出かけだ。ちょっとしたアクシデントはあっても、予定は実行するぜ。じゃ、お着替えしよう。外は、寒いほどではないが、ちょっとあたたかめの服装がいい。と着替えた。友人の移動援助部隊の到着をまっていたとき、なんとなく、久しぶりに文字盤をやってみた。

あかさたなスキャンを声でだしながら、あいうえお〜んの表を見せながら、やってみた。そうしたらびっくり「あ・つ・い」とでました。え?あついの?たしかに、今、ベッドのうえで、この部屋だと、この服装は少しあついかもしれない。それで、うすでの服に着替えた。

着替えるのはいい。それは簡単なことだ。そうじゃなくて、あかさたなスキャンで、たった3文字でも「今、必要な言葉」を彼女は発信した。そして、ぼくはそれをうけとった。これは、すごいことだ。そして、移動中の車の中で、こんどは、寒い・・・これば、ぼくが感で質問したんだけど、はっきりと「う」=ウンと答えた。

こうやって、ほんの少し、ぼくらは言葉を交わしている。声にはならないけど、言語を通じて、意味を互いに共有しているわけだ。これは、すごいことだ。共通言語をつかえることってすごい。

桜が風に舞う道を、ドライブして我が家に到着。そして家の前の桜を眺めるようにポジションをとり、満開の桜を楽しんだ。今日は、車の中も、家の中も、病院への帰りの道のりも、一度も目をとじずにしっかりと目を見開いていた。

いつものぼくらのお散歩で、目があいている時間がほんの少ししかないのに「気合」というのは、すごいものだ。きっと、こういうことを言うのだろう。花見も「気合」でやるのだ。

人間の幸せとは何かと考える。それは「情熱」だろうと思うわけだけど、「気合」というのは、言語としてはちょっと意味は違うけど、生きるという意味でのベクトルとしては「情熱」も「気合」も同じ意味が含まれていると思う。

今朝11時の病院で「気合」のはいった顔をみて、出発して病院にもどった18時まで、妻は情熱的にお花見をした。ぼくは、妻を見て、今を情熱的に生きるということが一番大切だと思った。

お花見くらいでそんな大げさな。。。たしかにそう思う。しかし、情熱決まりはない。ようするに、何に一生懸命になってもいいのだ。お金儲けでも、座禅でも、どちらでもいい。大切なことは、情熱を注いだ人生であれということであろう。バカボンのパパも、きっと「それでいいのだ」と言ってくれるだろう。


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