結婚の頃

今日の妻の端座位は、気合がはいっていた。きっと、彼女の中に目標があるのだろうと思う。最近、ぼくは気功を再開したので、リラックスの方法を、端座位に組み入れてもらいながら、ぼくからも気を送るというほうほうで、今日は端座位を30分ほど行った。

今日は、妻の端座位をしながら森川さんの話をしていた。森川さんのディレクターをやっていた、1985年から89年のことを、メールマガジンで配信しようと計画しているのですが、いろいろ、思い出してみると、とても面白い。面白いだけではなく、恥ずかしいこともある。あんなこともあった、こんなこともあった。

前にも書いたかもしれないけど、ぼくは結婚式の前々日も前日も森川さんのレコーディングで、そのあと結婚当日の朝まで飲んで、式場には二日酔いでタクシーでかけつけた覚えがあります。

前日レコーディングしていたのは、たぶん「赤い涙」という曲だったような気がします。そんなギリギリまでやらなくちゃいけない理由があったはずで、たぶんリリースのため締め切りがギリギリだったからです。秋元康さんの歌詞が遅れて、ギリギリで歌入れのその日にファックでとどいた歌詞をそのまま歌ったような覚えがあります。・・・あー、こういうの森川さんのメルマガで書いたほうが・・・・いやいや、あっちにはもっと大ネタがあるから大丈夫です(笑) 続きを読む


十年一昔

この言葉を聞いたのは、小学生の頃だったか。きっとそういうものだろうと思っていた。ところが、ある頃から、時代の変化は速くなり、とくにITの世界では、半年一昔くらいのスピードとなっていっている。ところが、自分の体感としてはどうだろう。考えてみると、これは不思議なことに、時間感覚がカテゴリーに分かれて存在しているのではないかと感じる。

たとえば、子供の成長という視点でみてみれば、それが赤ちゃんから10歳までは、かなり大きな変化があり、そりゃぁもう十年一昔といえる。しかし、50歳からの10年といえば、なんかそれはつい最近の話という具合だ。さらに、レコーディングのような限定的な話になると、もうそれは20年前も、10年前も、あまり意識として変わりがない。テクノロジーの変化ということでいえば、まったく大きな変化があるわけだが、ぼくらが強く意識をもち対峙している本質は変わらない。 続きを読む


小さな公園の夫婦杉


本日は、少しご機嫌がなおっていた。やはり、時間というのは大切。悲しみも、怒りも、時間がおちつかせてくれるものなのでしょう。これも、脳がうまく機能している証拠です。悲しみっぱなし、怒りっぱなし、あるいは、喜びっぱなしの人生は、大変すぎて成立しないでしょう。

この写真の公園は、家から駅まで歩く途中にある公園です。今日、病院へ来る途中、空と2本の杉と影があまりにバランスがよくて綺麗で思わず写真をとりました。この杉を意識しはじめたのは、妻が倒れた時からでした。なんとも、なかよく並んでいて、それからは夫婦みたいだなぁと毎日眺めながら駅まで歩いていた。

それまで、なんとも思っていなかった景色や、ヒヨドリのつがいに、意識が敏感になっていたよなぁと思いながら、しばらく公園に一人ぼーっと立ってこの2本の木をながめていた。

昔から、人は山岳信仰や、太陽神や、海や山、あるいは木、岩、石にいたるまで、自然を神にしたりして、お手本にしてきた。それと同じことを当時のぼくはやっていたのだろうなと思いながら、ぼーっと眺めていた。 続きを読む


人間交差点

今日は、風が強くて、外にはでれなかったものの、あたたかなお正月、三が日でした。今日は、デイルームでしばらく、強風で揺れる桜の枝を見て、あとはテレビで漫才を見ていました。

途中、70代の男性の患者さんが車椅子で、親戚につれられてやってきました。50代の夫婦らしき方が、80歳くらいの男性をお見舞いに連れてきたようです。
50歳くらいの女性は、しきりに「**のおじさんが来てくれたよ。わかる?」となんども声をかけておられた。高齢のおじさんが、どこか遠くからお見舞いに来てくれたから、わかってほしいという気持ちもともなったフレーズだったろうと思う。

ぼくは、ふと「わかってるよ。でもアウトプットできないんだよ。」って心の中でおもいながら、声をするほうをふりむいた。あー、ほら。目がもう確実に意味のある目を、その80歳のおじさんにむけている。声はだせないし、瞬きとか、アクションはないのだろうけど、あそこまで、しっかりと意味のある目をみれば、わかっているのは確実だな。・・・と思うのだが、女性はサービスもふくめてだろうが、「**のおじさんが来たんだよ。わかる?」・・・繰り返していた。サービスとは、片方が犠牲になるものかもなとおもいながら、その状態をながめていた。 続きを読む


青空のキャンバス


この病院に来て7回目のお正月がやってきた。このように穏やかで、あたたかな正月ははじめてで、今年は元旦からお外でゆっくり日向ぼっこをしていた。青空のキャンバスにコブシとサクラの花芽。ゆったりとした元旦だ。

妻の顔色もよくて、写真をとって息子たちにメールしようと思ったが、どうもご機嫌がわるくて、顔をむけてくれない。写真をとるよというと、明らかにいやな表情で、顔を背ける。もともと、写真は嫌いな人だったけど、なにがいやなのだろう?どうも、ぼくが元旦からなにか気に触ることでもでもしたのだろうか?・・・わからない。そもそも、元気なころにも、たくさん、そんなことはやってきていただろう。しかし、妻はそれを表情には出さなかった。 続きを読む


箱庭

東田直樹さんが、NHKのドキュメントの中で、命は繋がっていくことではなく、一人一人が人生を完結していくものなのだと考えている・・・と語っていた。そうだと思う。そのために、生まれてきたのだろう。だけど、それだけでないこともあるのではないかと考える。

12月22日の嵐の夜、1人の女の子がぼくの孫としてこの世にやってきた。この子を見た時に、やはり、命のつながりを感じることは、普通のことだろう。ぼくと妻は、まったく関係のない別々の人生を25年ほど生きていたのに、ちょっとしたきっかけで知り合って結婚した。そして、長男が生まれ、次男が生まれ、24年ほどをたのしく過ごした。ある日、妻は脳幹出血で倒れて、その瞬間からぼくらの人生は大きく変わった。 続きを読む


オッパイの絵

16日の予定日なのに、お腹の中の居心地がよすぎて、なかなかこの世に出て来ない。
もう一週間すぎた。今日、入院することになっていて、もしかして生まれるなら、孫とお留守番でもしようと息子と鷺沼で落ち合った。

息子の嫁は、今日のお昼に入院し、そろそろ産みましょうねという段階にきていた。ぼくは久しぶりにかつて、家族で住んだマンションやら、息子が通った小学校など、1時間ほど散歩して、それから、孫(長男)を保育園に迎えに行き、そこから、3人で 「ゆけむりの里」 にお風呂に入りに行った。

ここにくるのは、10年ぶりだ。妻ともよくきたお風呂だ。平日630円。すばらしい。
お風呂から上がり、息子のアパートについたころ、どうも陣痛の間隔がせばまってきたらしい。せっかくぼくがいるのだから、息子は病院へ。孫は、ぼくとお留守番することにした。かっこよかったのは、孫のセリフだ。

パパに 「ママを頼むね!」 と言い放った。 続きを読む


春よ来い

今日は、心地いいそよ風の中で散歩をたのしんだ。いつもの公園で枯葉と青空を眺め、向かいの駐車場では白い山茶花の満開をゆっくり楽しんだ。満開というのはもうすぐ散るということだ。山茶花は、花びらが一枚一枚落ちる。そして、今度はツバキの時期になっていく。ツバキは花を首からバッサリ落とす。そして、梅へとバトンタッチして、コブシ、木蓮、そしていよいよ桜へとバトンがわたされるように一年を花たちは彩る。

妻はいつも、ぼーっとしている。そんな話をしても上の空。いや、これは、昔ぼくがやっていた得意技だ。妻の話は音声としか認識していなくて、右から左へと、空気の振動は障害物もなくスムーズに伝導し、流れ、消えていった。あぁ、あの感じね。いまの君はあれなんだね。いや、それでいいさ。

ところが話の内容によって目つきが変わる。 続きを読む


ぼくらの昼下がり

img_0267

昨日、4年ぶりに気功の先生を訪ねた。妻が倒れたあとも、会社を退社するまで、毎朝、気功をやっていた。自分自身が倒れてしまってから、動くのがおっくうになり、気功をやめていたのだけど、ここのところ、久しぶりに「唯識」の本を読み直しながら、気功をもう一度生活にとりいれたいと考え始めていた。

久しぶりに気功の先生とあったら、その日は「老子」の勉強会の日だった。ぼくは「老子」は名前しかしらない。しかし、ここで「易経」とも「唯識」とも出会った。きっと「老子」も面白いのだろうなと感じながら、入り口だけ、ほんの8ページほどを読んで、考え方を教えてもらった。 続きを読む


頭の散歩道

img_0263
年をとると、たくさんのことを一度にやることが大変になるのだということを、感じているこの頃です。若い頃は、あれと、これと、それと、あっちも、こっちも、そして遊びの計画も、全力でやれていたように思う。しかし、今は、いくつかの項目を同時進行するだけで、大変だ。忙しいのはいつだって体ではなくて頭の中だと実感する。

何を言いたいのかというと、ようするに、ブログを更新する頭のキャパシティが足りなかったということです。メモリ不足になっていて、感じていることはあるけど、言語化できない、いつもは、PCに向かって、なんとなく何かの言葉を打ち始める。それは、空は青いとか、ドウダンつつじが真っ赤っかとか、そんな文字を書いてみる。

そうすると、そこから、脳より先に指先が勝手に動きだす。そんな状態で、いつもブログを書いていた。いつだって、何を書こうかなんて、考えていなけど、指がたたきだした言葉に反応して、ぼくの脳がなにかを打ち返してくる。だから、その繰り返しが、ぼくの中の二人みたいな感じで、文字となっていくのです。

しかし、その会話をしている余裕のない、今年後半の楽しい数ヶ月でした。森川美穂さんのCD「Life is Beautiful」を7月くらいから仕込みはじめて、8月に具体的なスケジュールを決めて、9月〜10月と実行して、つい先日11月30日にリリースしました。そして11月には大阪と東京でライブを行い、やっと、なんとなく、おちついた。我ながら会心の出来で、とても満足しています。よければ、聴いてみてください。 続きを読む