ネーミングとイメージ

昨日、一昨日ととてもカラッと晴れていた。いつもの公園の木陰でアイスだった。昨日などは、アイス食べにいく?と聞けば「う」と返事をして、食べる気満々のところを見せてくれた。嚥下もずいぶんスムーズになってきているように思う。ところが今日は、37.7度、ぐったりちゃん。アイスノンをもらい、頭の下と、背中にあてて昼寝中だ。

昨日、週に一度見てもらっている歯医者さんからある説明があった。あー、またか・・・という感じだ。厚労省の見解で、口腔ケアは治療ではないという見解が示されたということだった。まぁ、いい。人生の隠れた落とし穴には、もう何度も落ちた。このくらいは、ちょっと砂場に足をとられた程度のもので、びっくりするほどではない。

ただ、口腔ケアが、脳に直結するマッサージであることや、肺炎の予防になっていることなど、知らないんだろうなぁ・・・。厚労省のこのコスト削減プログラムを担当している方もサラリーマンだ。上司からの命令には従わなければならない。こまかく調べれば調べるほど、どれも必要なことだろう。しかし、コストカットをやると決めれば、どれかをカットしないとならない。カット項目を探し続けて、きっとたどり着いて、これに決めたんでしょう。これも、ネーミングからカットされたんだろうな。「口腔ケア」・・・このネーミングがカットしやすいイメージだったのでしょうね。

タイトルは大切だな。楽曲タイトルも、病名も、、、イメージというのは、一度、定着すると、今度はそのイメージに支配されてしまう。そして、時には、そのネーミングゆえに、カットされる項目となる。

「口腔ケア」も「遷延性意識障害」も、そこはにている。「口腔ケアってサービスでしょ?」「遷延性意識障害って、植物人間でしょ?」っていう風になるのだ。その中には、とてもさまざまなケースがあるのだけど、それはネーミング一律でバッサリとなるのだ。

去年は、リハビリをいきなり半分の時間にカットされ、それはそれでショックだったけど、決まったことにとやかくいってもはじまらない。自分でやれることをやる。それだけだ。ぼくらは、なんとかなる。実際に端座位や、車椅子など、ぼくがやれるから、それでカバーできる。しかし、それが出来ないケースのほうが多いだろう。これらのカットされたリハビリに、どれだけ残念な思いをしている人がいるかを考えると胸が苦しくなる。

とにかく、この「遷延性意識障害」というネーミングのイメージが、やっかいだ。そして、言葉で決められているボーダーラインに、このネーミングは必ずひっかかる。「遷延性意識障害」=「植物人間」というイメージだから、それで、いくらリハビリしてもよくならない=意味がない=やる必要がない(お金を使う必要はない)・・・という考え方である。

まぁ、たしかにね。そう簡単じゃないし、目でみてわかる改善という意味ではそのとおりだろう。しかし、ずいぶん回復しているんだけどなぁ、、、本当は。簡単に目に見えるレベルでなくても、その変化はとても大きいのだけどなぁ。わからないんだろうな。わかりたくはないかもね。わかっちゃうとカットできなくなるからなぁ。

しかし、これらのサービスを受けている側にとっては、これらすべてが当たり前と思っていては危険だな。やはり、ぼくらは、ぼくらで、やれることを考えていかないといけないのだろう。アメリカなどは、医療が自由化になり、利益のためのものになってしまったから、高額になりすぎて、医療がうけられない人が増えた。

高額な医療を購入する消費者は、たまに医者を訴える。アメリカは訴訟社会だ。医者は、自分を守るために、保険に入らないと怖くて経営できない。その保険料金も高額になる。保険料金をカヴァーしながら医療を提供するために、さらに医療費が高額になる。

あれはダメだ。医療の自由化なんてやっちゃだめだ。人の命が、ただのビジネスチャンスとして、商売の利益率と交換されていうような社会をつくっちゃだめだよね。国っていうのは、そこを支えるものじゃないかって、最近、そんなことを思う。

妻の熱は、下がってきたようだ。気分がよければ、ちょっと端座位でもしてみよう。


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