継続は力なり

今日も体温は37.5° その中でも、最初の挨拶だけはくれる。しかし、それからあまり目はあかない。たまに薄目をあけたりするが、すぶにまた閉じる。毎日、この体温では体力が消耗されてあたりまえだろう。しかし、こればかりは、誰がわるいわけでもない。天気もわるくないだろう。もし悪いとすれば、人類が、自分が心地よくあるために、温暖化を促したことだろうが、それも本当に悪いことかといえば、わからない。

ある科学者は、このままでは、南極、北極の氷がとけ、地球の水位があがり、かなりの部分が水没するという。また、ある人は、そんなことはおこらないという。

人類初の公害とは、畑であり、田んぼであったそうだ。公害の意味は、事業活動や人の活動に伴って生じる自然および生活環境の破壊、、ということだけど、生活環境をよくするために、定期的に食料をとれる状態にして、そのことは、一部、自然環境を破壊することは否めない。しかし、農業により、人類は増加していくことが可能になった。

害虫、害獣、、、どこまでいっても、ぼくらは、ぼくらに対して都合悪いものを害とするものだ。しかし、たいがい、それらすべてが、循環の中の一員として、なんらかの意味をもっている。

クジラを一番殺したのは、アメリカだろう。彼らは、石油がない時代に、油だけを取りたかったから、世界中のクジラをとり油をしぼり、他は捨てた。食文化として、どこも無駄にせず、使い切っていた日本が、ある日、中途半端な、調査捕鯨とかいう言い訳をつかいながらやりはじめたのがダメだった。しっかりと、文化であると言わなかったことが敗因だろう。

目のあいていない妻を前にしていると、やることがないので、こうやって、どんどん、ぼくの頭の中は迷走しはじめる。

今日は、ソーシャルワーカーに状況をつたえ、元の環境にもどしてもらいたいと希望をだした。しかし、ベッドは満席でしばらくは移動できなということだった。脳幹出血という、体温調整が一番苦手な患者を、この病室においたのは失敗であった。病院としては、トータルでどう全体を運営するかが大切だから、こういうこともある。それは、互いに協力しながらのりきらないといけない。

個が、個を優先するための主張だけしていれば、その反動はどこかに必ず現れる。すべてがうまくいくことはないだろう。「お互いさま」・・・なるべく、多少、譲り合いながら、みながちょっとだけ我慢もしながら、それでも笑顔でやれるといいと思う。ここらへんが、日本のいい文化であろう。

妻の目をみると、その瞳の中には、怒りもないし、どうかしてよと、いう主張もない。ただ、今いるベッドの上で、自分がやるべきことを、やっているように思う。今は、発熱の中、すこしでも体力を消耗しないように、休むのが仕事だということだろう。爪を切り、それから、しばらく団扇であおいですこしでも気持ちよく休めるようにしよう。

出来ることと、出来ないことがある。
ぼくらは、いつも、やれる範囲のことを、やり続けることしかないのさ。
それだけだね。


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