作成者別アーカイブ: t.nishijima

end roll 〜清安さんの朝〜

通夜式の前に、住職とお会いしまして、この法名をいただきました。とても、心にしっくりと来てストンと腑に落ちました。妻:清美は、法名:釈尼清安 となりました。釈は、お釈迦様の釈、尼は女性という意味です。仏教の伝来上、呉の国からの伝来の言葉が多いとのことで、この場合の「清」は「しょう」と読みます。妻は「しょうあん」という名前となり、仏様になりました。妻の人柄をあらわす、やわらかくて、やさしいお名前をいただきました。

通夜の最後に、住職から、お葬式の意味について、お話をいただきました。お葬式からぼくらがうけとるメッセージは3つあるのではないかというお話でした。

一つ目
もうぼくは清美とは今生では二度と会えませんよ。しっかり理解してくださいね。という意味です。

二つ目
他界するということは、誰にでもやってくるのですよ。これは、あなた自身を見つめ直す時間です。ぼくらの人生は永遠ではありません。この残された時間で、あなたはどう輝きますか?考えましょう、、、という意味です。

三つ目
清美は釈尼清安となり、仏様となり、あなたと仏様となった清安さんとはじめて出会う場所であり、ぼくと仏さまとなった清安さんとの関係がスタートする場であるという意味です。

たくさんの花束につつまれ、妻は、仏さまになりました。そしてぼくらは新しい関係となり、新しい朝を迎えました。

通夜、葬儀と、待ち時間にはずっと音楽をかけました。その一曲、一曲に選曲した意味があり、思いがありました。それを書かせていただきエンドロールとして、このブログは終了いたします。

● ベッドサイド (デモテープ)
倒れた夜、どうしていいかわからず、ただ目の前に横たわる妻をみながら、心の中に繰り返し押し寄せる悲しみの波を「ベッドサイド」で書きとめました。その言葉に因幡晃さんがメロディーをつけてくれまして、因幡晃さんの35周年記念アルバム「まん丸の蒼い月」というCDアルバムに収録されました。このCDには、佐藤準さんのとても美しいピアノの音色で歌う因幡さんの歌が収録されています。

葬儀の日にはレコーディングされる前の因幡さんのデモテープを流しました。それには理由があります。デモテープはギターの弾き語りでできています。当然、アコースティックギターのほうがピアノより音量が小さい。そうすると、歌のアプローチもかわります。このデモテープは、まさに目の前に横たわる妻に、ほんの1mの距離で、そっと声をかけているように歌っていると感じます。ピアノでの歌は、もう少し遠くへ歌を届けるイメージになりますが、今日は、すぐ目の前の妻に声をかけるように歌っている、因幡さんの声がこの空間にはに似合います。

妻は、因幡さんの声が大好きでした。純粋にファンで、妻は因幡さんの歌をよくしっていました。妻が大好きな因幡さんのやさしい声で見送ることにしました。

● 夢のしずく
塩入俊哉さんのCDアルバム「Tokyo 3a.m.」に収録されているピアノ曲です。塩入さんのメロディーにはいつも癒しが存在し、その中に、包み込むようなやさしさが表現されています。旅立ちの場の空気を清らかにしてくれる、そんなメロディーとして選曲しました。

● 君と出逢ってから
同じく塩入さんの「Tokyo 3a.m.」より。タイトルのように、妻・清美と出会ってからの日々を思い出していました。色々ありすぎてここには書ききれませんが、出会いから別れまでのことを思い起こしながらこの曲を聴いていました。

● ある夏の午后に
これも、塩入さんの「Tokyo 3a.m.」に収録されているピアノ曲です。冒頭のベッドサイドの歌詞を書いたのは、妻が倒れたその夜、集中治療室に泊まり込んだその日の夜中です。90%以上の確率で旅立つとお医者さんにいわれていたので、送るために泊まり込んだので、その気持ちで書いた詩でした。ところが、妻は自力で生きることを選びました。この選択は、並大抵なことではありません。

ぼくは、以前、エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本を読んでいました。これは妻も読みましたが、この中に、どう考えても他界していい状態なのに生きている子供の話がでてきます。そして、彼はあるやり残しをクリアして、そして、しずかに他界します。ぼくは、すぐに妻は、こんな大変な体になっても、まだやりたいことがあるのだと直感しました。そして、そんな妻の思いを応援する歌をつくることにしました。

このメロディーは、そのときのぼくの気持ちにスッと入ってきました。そして、奥沢病院で妻と会い、自宅まで帰る1時間半のあいだの混雑した電車の中で歌詞を書きました。この「ある夏の午后に」のメロディーにぼくが勝手に歌詞をつけ、そして白井貴子さんに歌ってもらって「夢の雫」という歌になりました。原曲はこのピアノ曲というわけです。

● みかん
ピアノデュオユニット、Maochica(メンバー:小林信吾さん、友成好宏さん)のピアノ曲です。そして、妻のお気に入りの曲でした。ぼくは、Maochicaのディレクターとしてレコーディングに参加したことがあって、その時、せっかくなのでPromotion Videoを作りたくて、ぜひ、この曲で映像をとろうと思いつきました。あれは2009年の11月上旬でした。ピアノデュオのふたりの呼吸、そして共同作業としてのイメージを「焚き火をするために、まきを集め協力する二人」・・・というテーマに重ねて撮影することにしました。

撮影は本栖湖のキャンプ場にしました。そして、ただ自然なふたりを撮るために、ぼくらは普通にバーベキューと焚き火、そして酒盛りをしました。映像にはうつっていませんが、そのとなりには、妻がいました。簡単にいえば撮影のケータリングかかりです。

あの本栖湖の撮影の翌日に、ふたりで散歩して撮影したのが、ぼくらの影のツーショット写真です。健康な状態でのぼくらのツーショットは、この影の写真が最後の写真となりました。思い出ぶかい、そんな1曲です。

● ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」
Maochica・・・・しめやかに、そして力強くという思いで選曲しました。

● Waltz
Maochica・・・最後は、優雅に、軽やかに天へむかってもらおうとワルツを選曲しました。

こんな思いで二日間をすごして、今は骨になって、また自宅にもどりました。49日は、ぼくの部屋でいっしょにすごします。しかし、本当は、もうここにはいなくて、自由な世界で羽をのばしていることでしょう。いつも思うのですが、通夜、葬儀は、残された私たちの気持ちの整理のためのものです。だから、ぼくら家族は、じっくりと妻を思い、音楽を聴き、感情が打ち寄せる波のように行ったり来たりしながら、ゆっくりと、ゆっくりと、さよならをします。49日は、きっとそんな期間なのだろうと思います。

2013年3月28日からスタートしました、遷延性意識障害の妻の回復記録と日記「夢の雫」も、Maochicaの「Waltz」にのせて、ここでおわりとなります。

どうも、ありがとうございました。

2017年8月20日 西嶋貴丸

※CDアルバム
因幡晃「まん丸の蒼い月」

塩入俊哉「Tokyo 3a.m.」

MAOCHICA 「MAOCHICA 2001-2010」

「ただいま」「行ってきます」

妻はいま、家に帰っています。こうやって、同じ屋根の下にくらすのは、7年半ぶりになります。「ただいま」と「行ってきます」を顔をみながらいうのも、ひさしぶりです。

妻は、最後まで、ぼくのスケジュールをきにかけてくれたようです。先週9日に病院であったのが生前最後となりました。10日は、親戚がやってきて、その夜は、NYからの友人のパーティで、11日は大阪へ移動、12日大阪で森川美穂さんのライブ、13日名古屋でライブ、14日に東京にもどりました。ぼくのもどりをまってくれて、15日、ぼくが唯一動ける日に旅立ちました。そのまま妻はひさしぶりの自宅に帰って来ました。

昨日は、妻の誕生日でした。そしてぼくは森川さんのレコーディングでした。次男が妻をまもり、今日もこれからレコーディングですので、長男が来て妻をまもります。そして、明日、お通夜、明後日葬儀と、めちゃくちゃタイトなスケジュールをすべて針の穴に糸を通すように、うまく、やってくれました。

そういえば結婚式の前夜まで、レコーディングしてたのが、今、レコーディングしている森川美穂さんでした。結婚前夜の深夜、、、当日、までレコーディングして、そして、今回も見送り前夜まで森川さんのレコーディングです。なんだか、不思議な気持ちです。

きっとこうやって、妻もこのレコーディングを応援してくれているのだろうと思います。11月15日に発売されるこのアルバムのタイトルは「Be Free」です。11月25日に原宿で行われる、このアルバムのリリース記念コンサートに、妻をつれてこようと計画していましたが、もうすでにあの不自由な体からぬけだし、いまはまさに自由になったことでしょう。きっと今日のレコーディング現場や、そしてライブも見に来てくれることでしょう。

妻が倒れた時も、因幡晃さん、白井貴子さん、下成佐登子さんとのレコーディングにたすけられました。こうして、音楽とともにいることで、ぼくも精神のバランスがとれるという感覚があります。そのことを、きっと妻も知っているのでしょう。

他界したあとのスケジュールまで、こんなに気をつかうとは、なんだか笑っちゃいます。「ベッドサイド」という曲の歌詞にも書きましたが、いつもまわりに気遣い、自分のことはまたもや後回しです。なんだか、最後の最後まで妻らしいです。

倒れてからも、先に旅立たれました奥沢病院の松村院長はじめ、白雪姫プロジェクトのかっこちゃん、国学院大学の柴田先生ご夫妻、守本さんご夫妻、、、、、と、とても、たくさんの友人と知り合い、多くの方々に見守られながら、7年以上も生活できたこと、支えてくださった方々に心から感謝いたします。

土曜日の夕方には、空にとんでいきますので見送ってください。
ありがとうございました。

バイバイ、またね。

いつも、ベッドからはなれるとき、言っていた言葉だ。

今は、目の前にいるけど、まさかこんなに早くバイバイを言われるとは思わなかった。静かで、穏やかな表情をしている。お世話になった数人の人に連絡をした。みんなびっくりしていた。ぼくだって、びっくりだ。でも、この7年間のLocked in 状態からは解放され、たぶん、ぼくの頭の上あたりから眺めながら、飲み過ぎるなよと注意しているだろう。あるいは、それうまそうだなって思っているのかもしれない。

「またね」・・・が実現する可能性があるのは、それはぼくがそっちに行く時だろう。そう考えれば、それはそれで 「その時」 を楽しみにしながら、もう少しこっちにいるさ。これは、なかなかいいアイデアで、こっちの世界も楽しいし、あっちに行くのも楽しみということになる。なるほど、この考え方はいい。

だから、やっぱり 「バイバイ、またね」 と言っておこう。

このブログは、どのくらい書いたのだろう? 下成さんに紹介してもらって、かっこちゃんの講演会に行って、白雪姫プロジェクトと出会って、ブログを書くことになって、、、、たしか、会社をやめてからだから、もう5年くらい書いてきたのかな。

映画でもなんでも、エンディングっていうのがある。
人生もそうなんだってことくらい知っているけど、けっこう急にきたりする。映画はもっと、そろそろ終わりかな?ってわかったりするものだけど、現実はそうではない。そろそろ、このブログもエンディングを迎えることになったようです。妻の回復期・・・というテーマで書いてきたけど、彼女がちょっと違う道を選びまして旅立ちました。まだ、エンドロールまではいっていないけど、さまざまな思いと、メロディーが流れ始めました。

倒れたときに書いた言葉を、因幡さんに歌ってもらった「ベッドサイド」
白井さんに歌ってもらった「夢の雫」
あきらめないと宣言をして、下成さんに歌ってもらった「ぼくたちのルール」

この精神は、ずっと、これからも、ここにある。
まだしばらく、こっちにいるけど、今度は、ぼくが追いかけよう。
必ずそっちにはいけるから、急ぐ必要はない。ゆっくりと、ゆっくりと、そのうち追いつくさ。

ありがとう。バイバイ、またね。

継続は力なり

今日も体温は37.5° その中でも、最初の挨拶だけはくれる。しかし、それからあまり目はあかない。たまに薄目をあけたりするが、すぶにまた閉じる。毎日、この体温では体力が消耗されてあたりまえだろう。しかし、こればかりは、誰がわるいわけでもない。天気もわるくないだろう。もし悪いとすれば、人類が、自分が心地よくあるために、温暖化を促したことだろうが、それも本当に悪いことかといえば、わからない。

ある科学者は、このままでは、南極、北極の氷がとけ、地球の水位があがり、かなりの部分が水没するという。また、ある人は、そんなことはおこらないという。

人類初の公害とは、畑であり、田んぼであったそうだ。公害の意味は、事業活動や人の活動に伴って生じる自然および生活環境の破壊、、ということだけど、生活環境をよくするために、定期的に食料をとれる状態にして、そのことは、一部、自然環境を破壊することは否めない。しかし、農業により、人類は増加していくことが可能になった。

害虫、害獣、、、どこまでいっても、ぼくらは、ぼくらに対して都合悪いものを害とするものだ。しかし、たいがい、それらすべてが、循環の中の一員として、なんらかの意味をもっている。 続きを読む

がんばりましょう

病室をひっこして1ヶ月が経った。このひと月、毎日熱発している。そして目があかない。3階から2階にひっこしただけなので、環境についてはまったく心配していなかった。2階のデイルームが広いので、そこに行きやすくなると都合がいいくらいに思っていた。ところが、まったく環境がちがう。コンクリートで出来たビルというのは、階数によって、湿度の状態がちがうようだ。3階ではかんじていなかった湿度が2階にはある。そして、病室のクーラーの調子がわるいのか?あるいは、この湿度との兼ね合いなのか、室内温度が高い。クーラーをつよく設定しても、その状態はかわらない。たぶん、この状況により、体温調節がへたくそな妻は、毎日、熱がでる。

昨日は、37.7度、 今日は、37.8度、目はほとんどあかないのだけど、来た時だけは「あぁ、来たのね」と一瞬目をあけて挨拶をくれる。この体温だと、動きたくはないだろうけど、ぼくがいる間だけでも、車椅子にのせて、廊下にでよう。

そう、部屋の中より、廊下のほうが涼しいのだ。今日は、デイルームでテレビの音声だけをききながら、クーラーの風がくる場所を選んでしばらくゆっくりしていよう。 続きを読む

夏の闘い

北側の部屋だけど室温が高く暑い。どうも、クーラーの調子が悪いようだ。設定をみると、22度になっているが、暑いままだ。ちょうど処置をしにきてくれた、本日の担当の看護師さんに、ズバリ質問してみた。

「お熱計らせてもらいます」
「少しありそうですね。今日は、車椅子にものろうとしないんです」
「目とかで、合図するんですか?」
「ええ、瞬きとか、調子良いときには、口の形で「い」「う」=「行く」と返事しますよ」
「そーなんですね、、、あ、37.7度ですね。あがっちゃいましたね」
「ところで、クーラー壊れてるんすかね?」
「すみません、、、ここ効きが悪いですね。どうも、業者さんが来週には来るという話をきいています」
「そうですか。そりゃ、助かります」

・・・と、いうわけで、あと1週間ほどでは、改善されるのではないかと思われる。熱が高いと、酸素量も90を割ったりと、やはり、体全体に影響がでるようだ。もちろん、だるくて、車椅子も単剤もやりたくないみたいだ。少し端座位やろうよ・・・といっても、完璧に無視。みごとである。無視は「NO」という意思表現のひとつの手段である。

でも、できれば、意思伝達なのだから「無視」以外の方法で、伝えてもらいたいものだと思う。なんせ、無視されるのは、寂しい。

ぼくがただベッドサイドにいるだけで、汗ばむほどの室温だ。体温調整が苦手な状態の妻は、かなり影響されるだろう。この部屋にひっこしてきて、11日がすぎた。この間は、猛暑つづきだったから、体力も消耗しているだろう。まだまだ暑い夏はつづく。早くクーラーが直るといいな。

お引越し

この病院に来て今年で7年になる。妻が倒れて最初の転院先を探すことができたのは、奇跡にちかい出会いからだったが、本当にあのころの病院探しは、生まれてはじめて絶望感というものを味わった。奥沢病院の松村院長と出会い、患者サイドにたった徹底的なサポートを得て、そこからは、転院は仕方のない儀式として、受け入れ、4回の転院を経て今の病院にたどりついた。

その病院の中で、3階から2階へと病室が変わっただけなのですが、やはり環境はちょっとしたことで変わるものです。

移った先の部屋は、北側の部屋の窓側のベッドでした。北側と聞いていたので、あまり気にしていなかったのですが、窓側は思いの外、熱がたまっている。これは困った。まさにこれから夏本番である。窓側がこんなに気温が高いとは予想外だった。

妻は脳幹出血により遷延性意識障害となったわけですが、脳幹は、呼吸と体温調節の機能を司るので、この体温調節機能がとても苦手です。このポジションに来て10分後には、体温が0.5度上がった。このまま、上がっちゃうんだろうなと思い、アイスノン。ベッドを少しても、窓から離させてもらい、隣の方のほうへとポジショニングした。この50cmで、温度がかなり違う。これから、この夏は新たな試練だなと思っていた。 続きを読む

新入り

二人目の孫は女の子だった。ぼくや妻の遺伝子をもつ女性がこの世にはじめてやってきたのは、去年の年末だった。あれからあっという間に半年がたった。なかなか、病院までこれなかったのだが、やっと会える日がやってきた。

ここのところ、妻は毎日発熱している。病院の中は、涼しくて快適なのに、なぜか外気温が高いときに発熱しやすい。脳幹と地球が連動しているような気分になる。幸いにも、昨日は、曇り空。湿度は高かったが気温はさほどではない。事前に、この日のことは伝えてあったから、気合もはいっていて、体調をうまくコントロールしてぼくらを待ち受けてくれた。

いつものデイルーム。長男家族4名、嫁の母親、次男、そして妻とぼく、、、新入りをふくめて総勢8名、病院でわいわい、ギャーギャーの1時間だった。

新入りのおにいちゃんは、今年5歳になる。新入りのことは気にせずに、広いデイルームを走り回る。走ることがなぜそんなにおもしろい?
「じーじ、ぼくのことを追いかけてよ」という。もちろん、ぼくは「いやだよ」という。「どーして、どーして?」「それはね、汗をかくし、つかれるからいやだよ」「大丈夫だよ、大丈夫」「なにが大丈夫だ、それはお前が大丈夫なだけだ、こっちはたまらん」 続きを読む

なんでもない午後

昨日は、久しぶりに38.6という高熱をだしたらしい。今日は、37.1。まぁ、平熱のようなものだ。外は、風がきもちい。曇りだから、公園も快適だ。この時期からは、日差しがあると、アスファルトからの熱反射で暑い。今日は、熱反射も抑えられていて、風も心地よい。

ハーゲンダッツは食べるかとおもって買ったけど、今日は、口を「む」として、いらないという。何故かはわからない。ためにし、すこしバニラを押し込んでみたけど、余計なことをするなというような顔をしている。つぎの瞬間、睨み返してきた。「いらないの?」と質問してみると、はっきりとわかる程度にうなずいた。そんなわけで、本日の110g 240kcalは、またもやぼくの胃の中へと消えた。

今月末に、長男家族がやってくることを伝えた。この時も、上目遣いにぼくの目をにらんで「わかった」と頷いて、そしてまた目を閉じる。ぼくらは、こうやって、2時間、公園で風に吹かれていた。

思ってみれば、ぼくらは結婚して31年過ごしてきた、そのうちもう7年以上は声での会話はしていない。でも、過ぎた月日を思えば、いつだってあっというまだ。この風の中の2時間も、この7年間も、31年も、過ぎてしまえば、過去のことで、そこに時間は存在しないように感じる。

それらの時間は、ぼくらに経験を与え、心を成長させるのだろう。植物が乾いた土の中から水分をさがすように根を張り巡らせるように、ぼくらは、困難の中から、なにかを掴み取ろうとするのだろう。

そして、こんなに平和な風の中の2時間で、それを思い起こしたりするんだ。
今日も、ヒヨドリの声がする。

ストロベリーデビュー

梅雨入りしたそうだ。わかりやすい湿度のある風だ。歩いていると、じっとり汗をかくけど、妻とこうやって公演でのんびりしている分には、風は少し冷たさを含んでいる。これは湿度がそうさせるのだろう。

今日のベッケンバウアーじゃない、ハーゲンダッツは、なんとなくストロベリー。公演で、はい、アーンとしても、口をキュッと結んであけようとしない。はて、どうしたものか?熱はなさそうだし、ベッドの上では、すぐ車椅子にのりたいとアピールしていた。これは、イコール、ハーゲンダッツということも含まれているはずだ。バニラがそんなによかったのか?・・・と自分でストロベリーを食べながら考えた。

あぁ、これだ。

きっとこれだ、、、このストロベリーのツブツブじゃないか?ハーゲンダッツのストロベリーには、微量だが、果肉が入っている。これが口の中に残ると、飲み込む自信がないのだろう。ストロベリーだよと言っただけで、この果肉のことを思い出したとすると、すごい記憶力だな。

あー、そうか、大丈夫だよ。いちごの果肉が入っていないところを選んで口にいれるから。大丈夫だよ。ちょっと味がかわるのも、いいかと思ってね。。。とスプーンを口元に近づけたら、かすかに唇を開いた。

やはり、そうだったのかな。それにしても、すごい判断だ。ストロベリーは、すこし甘酸っぱい。このせいか、嚥下を自力で頻繁にする。これははじめての現象だ。すっぱさが、唾液をうながし、その反応で、嚥下が導かれる。そんな感じだ。いつもなら、ぼくがアゴの下を刺激して、嚥下をうながしているのだが、今日はその必要がない。

梅雨入りに、しめった風とストロベリー。
ちょっと味を変えるだけで、こんなに変化があるんだな。これからは、もっとちがう味も試していこう。