月別アーカイブ: 2017年6月

新入り

二人目の孫は女の子だった。ぼくや妻の遺伝子をもつ女性がこの世にはじめてやってきたのは、去年の年末だった。あれからあっという間に半年がたった。なかなか、病院までこれなかったのだが、やっと会える日がやってきた。

ここのところ、妻は毎日発熱している。病院の中は、涼しくて快適なのに、なぜか外気温が高いときに発熱しやすい。脳幹と地球が連動しているような気分になる。幸いにも、昨日は、曇り空。湿度は高かったが気温はさほどではない。事前に、この日のことは伝えてあったから、気合もはいっていて、体調をうまくコントロールしてぼくらを待ち受けてくれた。

いつものデイルーム。長男家族4名、嫁の母親、次男、そして妻とぼく、、、新入りをふくめて総勢8名、病院でわいわい、ギャーギャーの1時間だった。

新入りのおにいちゃんは、今年5歳になる。新入りのことは気にせずに、広いデイルームを走り回る。走ることがなぜそんなにおもしろい?
「じーじ、ぼくのことを追いかけてよ」という。もちろん、ぼくは「いやだよ」という。「どーして、どーして?」「それはね、汗をかくし、つかれるからいやだよ」「大丈夫だよ、大丈夫」「なにが大丈夫だ、それはお前が大丈夫なだけだ、こっちはたまらん」 続きを読む

なんでもない午後

昨日は、久しぶりに38.6という高熱をだしたらしい。今日は、37.1。まぁ、平熱のようなものだ。外は、風がきもちい。曇りだから、公園も快適だ。この時期からは、日差しがあると、アスファルトからの熱反射で暑い。今日は、熱反射も抑えられていて、風も心地よい。

ハーゲンダッツは食べるかとおもって買ったけど、今日は、口を「む」として、いらないという。何故かはわからない。ためにし、すこしバニラを押し込んでみたけど、余計なことをするなというような顔をしている。つぎの瞬間、睨み返してきた。「いらないの?」と質問してみると、はっきりとわかる程度にうなずいた。そんなわけで、本日の110g 240kcalは、またもやぼくの胃の中へと消えた。

今月末に、長男家族がやってくることを伝えた。この時も、上目遣いにぼくの目をにらんで「わかった」と頷いて、そしてまた目を閉じる。ぼくらは、こうやって、2時間、公園で風に吹かれていた。

思ってみれば、ぼくらは結婚して31年過ごしてきた、そのうちもう7年以上は声での会話はしていない。でも、過ぎた月日を思えば、いつだってあっというまだ。この風の中の2時間も、この7年間も、31年も、過ぎてしまえば、過去のことで、そこに時間は存在しないように感じる。

それらの時間は、ぼくらに経験を与え、心を成長させるのだろう。植物が乾いた土の中から水分をさがすように根を張り巡らせるように、ぼくらは、困難の中から、なにかを掴み取ろうとするのだろう。

そして、こんなに平和な風の中の2時間で、それを思い起こしたりするんだ。
今日も、ヒヨドリの声がする。

ストロベリーデビュー

梅雨入りしたそうだ。わかりやすい湿度のある風だ。歩いていると、じっとり汗をかくけど、妻とこうやって公演でのんびりしている分には、風は少し冷たさを含んでいる。これは湿度がそうさせるのだろう。

今日のベッケンバウアーじゃない、ハーゲンダッツは、なんとなくストロベリー。公演で、はい、アーンとしても、口をキュッと結んであけようとしない。はて、どうしたものか?熱はなさそうだし、ベッドの上では、すぐ車椅子にのりたいとアピールしていた。これは、イコール、ハーゲンダッツということも含まれているはずだ。バニラがそんなによかったのか?・・・と自分でストロベリーを食べながら考えた。

あぁ、これだ。

きっとこれだ、、、このストロベリーのツブツブじゃないか?ハーゲンダッツのストロベリーには、微量だが、果肉が入っている。これが口の中に残ると、飲み込む自信がないのだろう。ストロベリーだよと言っただけで、この果肉のことを思い出したとすると、すごい記憶力だな。

あー、そうか、大丈夫だよ。いちごの果肉が入っていないところを選んで口にいれるから。大丈夫だよ。ちょっと味がかわるのも、いいかと思ってね。。。とスプーンを口元に近づけたら、かすかに唇を開いた。

やはり、そうだったのかな。それにしても、すごい判断だ。ストロベリーは、すこし甘酸っぱい。このせいか、嚥下を自力で頻繁にする。これははじめての現象だ。すっぱさが、唾液をうながし、その反応で、嚥下が導かれる。そんな感じだ。いつもなら、ぼくがアゴの下を刺激して、嚥下をうながしているのだが、今日はその必要がない。

梅雨入りに、しめった風とストロベリー。
ちょっと味を変えるだけで、こんなに変化があるんだな。これからは、もっとちがう味も試していこう。

時のすぎ行くままに


ここのところ、梅雨入り前の、爽やかな日が続いている。病院へいけば、車椅子で外に出て、ハーゲンダッツというのが、この頃の定番だ。

このひと月で、たぶん20カップくらい食べた。たしか110g 240kcalだから、2㌔と200g、4,400kcalをたいらげたことになる。

妻が食べるのは、1回につき約5g程度だろう。ということは、、、あぁ、恐ろしい。恐ろしい。

それにしても、さわやかな風の中でいただくハーゲンダッツ、バニラ、は、とても美味い。

いつもは、こんなことは考えないのだけど、今日は、ミュシャ展の最終日にやって来た。案の定120分待ちだ。もう1時間はまった。あと1時間か。

ラーメンもなにも、待つのが嫌いだ。待つくらいなら立ち食いそばでいい。だが、ちょっとまて、この考え方がダメダメちゃんなのではないのか?え?どうなんだ?

よし、待つことで本物が見れるなら待ってみよう。国立新美術館の外からヘビのようにクネクネと2列で整列しながら歩いたり止まったり。

それにしても、人は死んでも作品は残る。作品は時代を超えて、またその時代の人々を魅了する。

ぼくは今、森川美穂という歌手の制作をやっているけど、そもそも、若い頃からやりたかった事は、ずっとスタンダードを創りたいと言う事だった。

どんな時代にでも、人の心を揺さぶるスタンダードだ。実はこれは、作家だけや、歌手だけやご、出来ることではない。録音作品であれば、作詞、作曲はもちろん、アレンジ、歌手にあったkeyやテンポの選定、演奏者、エンジニア、そして歌と、全てがしっくりと、ストンと腑に落ちるように、作品が仕上がらないと、そのエネルギーは最大化しない。

これが、結構むずかしい。しかし出来る時は、すんなりと自然に出来上がる。若い頃に力んでいた、力の入れどころは、完全に的外れだったりしたな。そう言った意味では、今は、すんなり出来上がるそんな予感がする。材料は揃っている。

自然に収まるように、その様子を眺めるように無理せす進めれば、しっくりと出来上がるだろう。

その時がくるまで、待つのもいいもんだ。この列に並んで入り口を待つのも、そんなものだ。だって、並ばないと入れないし、入らなければ、ミュシャの作品を体験することは出来ない。

力ずくで進めば、たぶん、逮捕される。こんなに待つのが嫌ならば、もっと早く行動をおこすことが必要である。

でも、前に来た時に混んでいたからやめたんだよな。あの時、並べば、こんなに並ばなくてすんだだろう。

こうやって、ぼくらは、大人になるのさ。

風力車椅子

ちょっと熱がある様子だったけど、車椅子にのった。外でアイスをたべようと1Fの売店にきたら、売店の休み時間だった。外を見ても、風は強すぎると話をしているところに、院長先生がやってきた。

「西嶋さん、久しぶり」
「いつも、お世話になっています」
「ここのところ、反応が出てきましたね。」
「ありがとうございます!首も自分で持ち上げるし、いろいろ反応があります」
「良かったですね〜」・・・と、ここに院内のPHS電話がかかってきて、会話は終了した。

いやぁ、うれしい。正直、反応は、倒れた3ヶ月後にはあると感じていたし、そのレベルはどんどん改善していっている。しかし、看護師さんたちに認めてもらうまでにも、5年はかかった。もちろん、正式に、医者であり、院長である先生としては、この判断は、かなり客観的であり、自発的な反応で、その状態が継続的であることを確認しないと、このような言葉は家族にかけられないだろう。

保証はできないことだし、また、期待させすぎても、いけない。立場とは難しいものだ。

そんな慎重である院長先生が、はっきりと「反応」について、話しかけてくれた。
これは、うれしい。

リハビリに効果があったという判断ができるれば、リハビリの継続は可能だろう。時間数をもどしてもらえれば、それはうれしいけど、時間数の問題より、現状を継続してもらえることのほうが大切である。効果がなければ、リハビリはやる必要がなくなる。そして、この病院にいることはできなくなる。この「反応」を確認してもらえたことは、とても大きなことだ。妻は、この病院にいれる権利を自力で手に入れたようだ。たいしたものだ。

しばらく、デイルームですごして、売店の休憩がおわった時間に、アイスを買って外へ出た。外は強風だけど、風はカラッとしている。病院の中だと注意される可能性もあると思い、こっそり公園で、喫煙・・・じゃない、ハーゲンダッツをなめている。学校でタバコをすうほどの緊張感はない。ましてや、甘い後味には幸せこそ感じても、後ろめたさは残らない。

車椅子の背で風をうけると、車椅子が走り出す。風力車椅子とはカッコイイ。風もぼくらの背中を押してくれている。まぁ、こんな強く押さなくてもいいんだけどね。