月別アーカイブ: 2016年10月

日々の中のBeautiful

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ここのところ「Life is beautiful」な日々を過ごしている。昨日はLife is beautifulのCDマスタリング作業を行い、夜はそのCD資料文章を書いていた。そして、今日は、こんな穏やかな素晴らしい天気だ。

妻といつもの公園でこうやって、日向ぼっこをしながら、ぼくはベンチでこの文章を書いている。日向にいると、少しあついから、木陰にはいる。でも、そうすると、ちょっと寒い。だから、今は、車椅子の角度をすこしゆったりとさせて、胸までは木陰に、そして、腰から下は日向にいるように調整している。ところが、すぐ陽ざしの角度は変わり、ちょこちょこと、ポジションを調整しながら、ベンチで文章をかいたり、車椅子のポジションを変えたりしながら、もうかれこれ1時間ほどいる。

なにもしないことなんて、つまらないと思っていたけど、そんなことはないと知る。
いやまてよ、でもこれは条件が揃っているからだよな。今は、このひと時以外に何もいらない・・・と思うけど、実は、陽ざし、気温、湿度、そよ風、妻のここちよさそうな表情、と、すべてが揃っている。

贅沢とはいったい何かと考える。こんな時間をすごせることはとても贅沢だけど、それに気づくことこそが一番大切なことなんだろうな。最近のLife is beautifulな日々は、そんなことを気づかせてくれた。

妻は気分がよさそうな顔で、目をとじてひんやりとした風と、あたたかな陽ざしを楽しんでいる。
太陽の恵みとはよくいったものだ。今日はここで、ただただ、陽ざしとそよ風を楽しもう。

心が動くこと

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今日は少し肌寒いくらいだ。あまり反応がよくないけど、散歩するかとなんどもしつこく訊くと、しょうがないなぁ、、、とでもいうように、ウンとサインがきた。それで、車椅子で散歩をした。病院の周りを10分ほどかけてぐるりと散歩するのだけど、この散歩は、いまじゃ普通のことだけど、以前は大きな冒険のようなことだった。人は知らないことは怖いし、なかなか行動できないけど、トライしてみると、やれることは多いし、その範囲はけっこうある。やってみると、なんてことない。

行動してみたあとでは、なぜ、ぼくらは、そこにただじっと居たのだろう?と不思議になる。そんな散歩コースをあるいたら、しばらくあるいていないうちに、畑が住宅地になっていた。まだ工事中だけど、¥3,680万円(税込)の家が、11棟も建築されていた。時代は、こんな風に変わっていくのだなと、妻と会話しながら、散歩をした。

こういう、時代の変化をそのまま見つめることは、新しい変化ともとれるし、なんか寂しさも感じて、心が微妙に動く。妻はどんなことを感じただろう。道端には山茶花が花を咲かせ始めていた。公園にもどり、しばらく色づきはじめた満天星をながめたりした。これも、なんともいえない、心の変化がある。この時期はやはり、ちょっと寂しく感じるものなのかな。 続きを読む

Life is beautiful

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Life is beautiful・・・・こんなこと言える人はそういない
・・・と思っていたんだけど、近頃ぼくは、そう感じることが多い。たとえば今日のような天気の日はわかりやすい。病院に来る時に電車に乗る前にみた景色がこの空だ。たまたま、この方向の青空の下に病院はある。病院へむかうのは、ぼくにとってはデートのようなものなので、楽しいわけだけど、この青空でさらに気分が良くなる。「Life is beautiful」は、ほんのちょっとした、こんなキッカケがもたらしてくれるものかもしれない。 続きを読む

出会いは別れ、別れは出会い

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今日はすこし微熱があるようだ。外は寒いがちょうどいい、公園でしばらく風にふかれることにした。ベッドにいても、目をつむったまま、アイスノンだ。それなら、局部のみでなく、全身をクーリングしようということで、公園へ。ちょっと乱暴のように聞こえるかもしれないけど、単純に理にかなっている。妻もこの方式を気に入っているようで、途中で、戻るか問いかけても、しばらくここでいいとサインを送る。そのサインは確実なものとしての保証はないが、そういうことにしておく。

妻は目を閉じているのでつまらないから、ぼくは、樹々を観察していた。コブシの実は変てこりんな形をしている。たくさん実がついているなぁ・・・とそのとき、花芽もすでに大きく育っているのを発見した。へんな形の実はすぐわかる。この写真の左上にあるのが、花芽だ。大小さまざまだけど、もう来年3月の白い花の準備をしっかりとしている。 続きを読む

男はつらいよ

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この3日間でめっきり秋になった。いつもの公園に来たら、なんとハナミズキの葉がしっかりと色づいていた。南沙織の「色づく街」を思い出した。あれは面白い曲で、正統派歌謡曲ではじまって、ABABといくと途中で4ビートになってまたすぐB的演歌歌謡的強さのアプローチで曲をしめる。こんなアイデアの曲はほかに聴いたことがない。

肌寒いほどの気温でも、妻にとっては気持ちいいかなと思っていたけど、どうも顔色がわるい。なんだか楽しそうでない。おかしいなと思い、オデコをさわると、ちと低体温ぎみだったので、さっさと退散してデイルームでテレビを見ることにした。大きめのバスタオルをまとっていたけど、風も吹いていたので、体温を奪い取られていたようだ。

デイルームにもどってきたら、体温が確保しやすくなり、表情もやわらかくなっている。 続きを読む

無言さんの教え

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外はカラッとしていて、最高の天気だ。雲ものんびりとしている。風もなく穏やかな公園のハナミズキの丸裸の枝の先にトンボが昼寝をしている。のんきなものだ。

風のないときに、聞こえる音は、車の音と近所のクリーニング工場の操業音、あとはヒヨドリがキーキーおしゃべりをしている。路地を一本はいったところにある静かな病院だけど、人工音が多い。

昔、家族でバリ島へ行ったとき、山の上のウブドという町の静けさが最高だった。雨の日は雨の音。風が吹けば風の音しかしない。人工音といえば、遠くから風にのって聴こえるガムランの音だ。これは人工音といっても、車や飛行機や工場といった類のものではないし、電子楽器は一切含まれないまったくのアンプラグド。

電気や車、近くにコンビニがないとぼくらは生きていけないほどだけど、何もない中でそよ風が落ち葉をカラカラと運ぶ音だけを聞きながら過ごす時間というのもいいものだ。今は公園の木陰にいるのだけど、照り返しが少し暑いから気をつけないといけない。体温調整がへたくそな妻に、もう少しすすしい場所に移動するかを訊いてみると、<うるさいなぁ>と言わんばかりに首を横に振った。

あ、そう。ここが気に入っているのね。それなら、それでいいのさ。目をしっかり開けたまま「今」を味わっている。バイクや自動車の音、工場の操業音、鳥の声、このランダムな一瞬が妻にとっての「今」である。雲から太陽が出て、日差しが強くなれば、影の色も濃く浮き上がる。

外に出れば天井とのにらめっこではなくて、さらに味覚以外の4感すべてを使って「今」を感じ取れるのだから、ただ、ここにいるということが、とても楽しいのだろうと思う。素晴らしい日々は、いつもぼくらの目の前にある。その「今」を味わえるかどうかなんだな。

目の前の妻とは、もう6年8ヶ月、会話をしたことがない。
しかし、この無言さんに教えられることは多い。

今日も涙の日が落ちる

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台風は温帯低気圧となった。空は晴れているけど、風は強い。9月から毎週台風がやってきて、青空をしばらく見ていなかった。お散歩もひさしぶりだった。左目が閉じれないので、風を背中にうけながら、しばらく公園にいた。気温は暑く、体温があがるから、すぐに引き上げようとしたら、妻はここでしばらく風の中にいたいというそぶりを見せた。

じゃぁ、しばらくここにいよう。目をしっかりと開けたまま、景色をながめている。いったい、何をかんがえているのだろう。風が木々をゆらし、ザワザワと音がしてくる。サクラの葉が落ち始め、乾いた枯れ葉がカラカラとコンクリートの上を走っていく。聴覚にはそんな音が、頰には風が刺激をあたえながら「今」を感じている。

それにしても風が強くなってきたので、いつものデイルームにいき、なぞの豊洲問題のテレビをみてからベッドに戻った。まだ処置の時間まで少しあるので、端座位をしようと思ったら、オデコがあつい。あれ?外にながくいすぎたのかな?

体温は37.2度。あー、やっちゃったな。脳幹は体温調整をする場所でもある。妻は体温調節がへたくそだ。しかし、今日はぐったりはしていない。端座位はやめにして、寅さんを見ることにした。

「ねー、松坂慶子のと秋吉久美子のがあるんだけど、どっちみたい?」・・・目はあかない。
なんだ、DVD2枚ももってきたのになぁ。

奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の日が落ちる。
退散。

お出かけ日記 ~祈りは届く~

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タイトルというのはとても大切です。
そして断言することも大切。

「かもしれない」とか「たぶん」とか「と、思います」とか、ぼくらは断定を避けたがる。政治家だって、演説のときは勢がいいけど、答弁になるとあっという間に言葉が曖昧になる。こうしていつも、ぼくらは未来に保険をかけたがる。

これらは「クセ」のようなものなわけだけど、あまりいい「クセ」とは言えない。
知らず知らず、脳が逃げ腰になる。

妻とひさしぶりのお出かけは、優さんが脚本、演出をしている舞台「祈りは届く」を見にきたのだけど、その人柄のままのタイトルで、まったくキッパリしている。ただ素直にまっすぐ信じていれば、脳は疑うことはせずに最大の力を発揮してくれる。「かもしれない」 「たぶん」 「と、思います」は、心のどこかで誰かを疑ったり、未来を怖がったりしていることではないのか。これがいつの間にか、現代、ぼくらのデフォルトになってしまった。 続きを読む