花束 〜「思い」は自動、「考え」は手動〜

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やっぱり「思い」という力はすごいものがある。昨日病院を出る直前に、友達がお祝いに訪れてくれた。前回きたのは寒かったと言っていたから、半年ぶりくらいだろう。この僕の友人家族とは、家族ぐるみで毎年旅行をした。子供も同じ年だった。妻とその奥さんもとても仲がよかった。そんな友達がお花をもって来てくれた。

ウトウトしはじめていた妻の目が、びっくりするように見開かれて、首を動かし、口を動かした。感謝の「思い」をどうにかして伝えたいと「思った」のだ。それが、この動きに直結した。僕は左手をにぎっていたのだけど、凄い力で手首を返すような動きをしながら、内側へと腕全体を使って僕の手を引っ張った。この感動と「思い」は、表現したい心と直結して、それが左腕の「動き」に繋がったのでしょう。

凄い事だ。微動だにしなかった頃が1年はつづいた。あれから、こんな事が起こるところまで、いつのまにたどり着いていたのだ。大したものだ。

「思い」と「考え」というのはちがう。
「思い」は、「思っちゃう」のだ。花束をみて、勝手に心がそう感じて「思っちゃう」のである。「考え」は、もっと積極的に脳に働きかけないとなかなか「考え」てくれない。面倒くさいのである。脳はほっぱらかすと、すぐサボるのだ。やらないといけないから「考える」。だいたい、ギリギリになって、明日の準備を始めた時に、はじめて足りないものに気がつく。1週間前に「考え」ていれば、簡単に用意できたものを、今気がついたってもう間に合わない、でも大変な思いをしながらギリギリなんとかなる。いや、なんとかする。

そう考えてみると、「思い」は自動、「考え」は手動、みたいな感じだ。しかし、勝手なもので、自動的に「思って」その勢いで、自動的に「考え」たりすることもある。これは、心と脳の繋がり方の問題ではないかと「思った」り、「考え」たりする(笑)

なんで、こんなまどろっこしいことを書き始めたかと言えば、妻のそのびっくりするほどの「力」だ。あれは「思い」が起こすのだ。でも、理論的に「考え」て、意識して腕を動かそうとしても、そうはいかないのだ。人は脳がすべてだと思っているが、そうではない。やっぱり「心」がとても大切なのだ。あの力強い妻の腕の動きは、今は「心」のパワーで表現されている。しかし、きっともう少しだ。この「思い」と「考え」がうまく手をつないでくれた時、きっと妻の「手」や「口」や「まばたき」は、コントロールを手にいれるだろう。もう少し、、、それが今年か、来年か、10年先かわからないけど、それも、これも、もう少しである。


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