箱庭

東田直樹さんが、NHKのドキュメントの中で、命は繋がっていくことではなく、一人一人が人生を完結していくものなのだと考えている・・・と語っていた。そうだと思う。そのために、生まれてきたのだろう。だけど、それだけでないこともあるのではないかと考える。

12月22日の嵐の夜、1人の女の子がぼくの孫としてこの世にやってきた。この子を見た時に、やはり、命のつながりを感じることは、普通のことだろう。ぼくと妻は、まったく関係のない別々の人生を25年ほど生きていたのに、ちょっとしたきっかけで知り合って結婚した。そして、長男が生まれ、次男が生まれ、24年ほどをたのしく過ごした。ある日、妻は脳幹出血で倒れて、その瞬間からぼくらの人生は大きく変わった。

ところが、妻のこの大胆にやらかしてくれた病気は、長男の人生をさらに大きく変化させる。ぼくらが長屋のような団地にすんでいた時代、妻の親友の子供たちと、うちのこともたちは、遊び相手だった。その中の2人が、妻が倒れたことをきっかけに、出会うことになる。

そして、幼馴染じみの二人は結婚した。妻が倒れていなければ、出会うことはなかったであろう二人は、妻の命がけの縁結びで、結婚し、そして、2人目の子供が先日の嵐の夜に生まれた。

命というのはかなりパワフルである。それは、本人そのものがエネルギーの塊であるのだが、そのエネルギーは周りにも電波する。今、妻に赤ちゃんの写真、上の孫の写真、息子家族の集合写真、ぼくが大笑いしている孫を抱いている写真などを見せていたら、妻の左手が大きく動いた。

妻は、どうも、新しい動きを模索しているようだ。左手を握ると、握力と呼べそうなくらいの力を発揮して、ぼくの手を握り返してきた。その動きを、3回ほど繰り返した。これは、今までになかった動きだ。「まだまだ、私、くたばらないわよ。孫を見届けるのよ」とでも、言っているようだ。

ぼくは、妻の首をマッサージしながら「来年の花見はにぎやかになるぜ、楽しみだろ?」というと、ぼくを睨みつけながら、大きく首を縦にふり頷いた。

いやはや、この確信に満ちた動きも、新しいエネルギーから湧き出たものだろう。
これを、遷延性意識障害というネーミングのまま、リハビリを半分カットされたままでいるのは、ちょっとこそばゆいが、まぁ、おとなしくしておこう。リハビリはぼくが来ればできるのだから、努力すればできることだ。仕組みに不満をもつ心は、仕組みを前提にしているという心構えということだ。ルールや仕組みの中で生きているのは、皆そうだけど、命というエネルギーはもっとはるかに大きな世界で生きている。

かつてはルールや仕組みの箱庭で、悩み、手足をばたつかせてきたように思う。しかし、この赤ちゃんのように、自由に、手足をバタつかせてみるのが楽しいに決まっている。妻も、かすかに、左手を動かし始めた。

来年もまた、楽しい年になりそうだ。


箱庭」への1件のフィードバック

  1. くるりん

    お孫さんのご誕生おめでとうございます
    私も息子が二人なので、孫には是非女の子をと思いますが、まだ結婚すらしていないので、まだまだ遠い話になりそうです
    娘なら、結婚してなくても孫は現れるかもしれないですが、息子ではそれも望めません

    奥様の左手の動きがはっきりと意識しての動きになる日が待ち遠しいですね

    今年は、私は夏に大きな手術をし、秋に父を亡くし、後半の半年が、普段の1ヶ月くらいの速さで過ぎていきました
    来年は少しゆとりを持って暮らしたいです
    みなさんもお身体を大切に、よい新年をお迎えくださいね
    これからも素敵な文章を楽しみにしています

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