心の無重力状態

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最近、いろいろなことにトライしてみているけど、何をやるにしても精神状態というのがとても大切だと再確認している。現在勉強しているフューチャーマッピングのファシリテーションについても、全体をゆったりと俯瞰して見渡せる精神性が必要だし、三味線にしてもそれと似た感覚が必要とされる。そして、精神状態や欲望みたいなものが如実に影響するのが指談だ。

練習をしてもなかなか進歩しないのだけど、諦めないと決めたので、懲りずに練習している。しかし、しっかりと練習しようとおもうと続かない。そんな、出来もしないことに、妻を付き合わせるより、バラエティ番組のひとつでも見せてあげたほうが、テレビ好きの妻は楽しいはずだし、1日のうちの病院にいられる時間と、処置やリハビリの時間とのバランスを考えると、どれだけ効率的に楽しみを生み出せるかとつい考えてしまう。熱がなくて、体調がよさそうで、外の気温が高すぎなくて、カラッとさわやかな日なら、迷いなくお散歩に出る。これは、何より気持ちがいいだろう。そうでなければ、マッサージと端座位と、テレビということになる。

最近は、指談練習の時間を特別にはとらないと決めた。練習でなくて、毎日の実践の中で腕を磨こうと考えた。
何か知りたいときに、いつも目の表情や、口の動きや、首の動きを注目していたけど、それを指談で回答をもらうようにしている。これが、あっ!出来た!って思うこともあるし、相変わらずまったく分からない時もある。

いまだに ○ × を読み取る段階だけど、わかる時と分からない時の、如実な違いというのが一つだけある。ぼくの中に質問しながら、すでにぼく自身が妻に求めている回答があるとき、こういう時はわからない。こうなったほうがいいな、という方向性が僕の中にあると、受け取りかたに欲望がまじっていて、妻のサインがうまく受け取れないのだ。

たとえば、ぼくがアイスを食べたいなと思いながら「アイス食べたい?」って聞くと、ぼく自身の中に、アイス食べたい・・・があるものだから、それが混ざってしまって、これは妻からのサインではないのに、食べたいって思ってしまっている、、、これは違う・・・みたいなことが起こる。なんと説明すればいいのかな。とにかく純粋じゃない時は受け取れないみたいなんです。このアイス事件のときには、妻から「○」も「×」もやってこなかった。。。。やって来なかったのではなくて、ぼくが受け取りそこねていたのだろうと思う。

指談勉強会でのお優さんの言葉を思い出した。
お優さんは全国飛び回り、指筆談を伝えているわけだけど交通費以外はうけとらない。それは、この行為にギャランティが発生すると、この精神的な部分に余計なストレスがかかるからだと言う。たとえばギャランティが発生していると、何かを伝えなくてはならないという義務感みないなものが、心の内に生まれる。そうすると、仮に、ちょっとあいまいな文字が送られてきたり、わからなかったときに、お金をいただいているのだから、どうにか何かを伝えなくては・・・と思ってしまうかもしれない。そうして「何かを伝えなくてはいけない」という精神性は、あせりを生み、まちがった翻訳をしてしまうかもしれない。・・・と、そんなような話をしていた。

余計な精神状態を自分の中に作らない。たとえば、わからない時には、わからないと言えるために、間違った翻訳をなくすために、心を無重力状態にしておかなくてはならないのだ。

ぼくはこの指談については、とてもラッキーな立場にいる。いつだって練習できるし、うまくいかなくても、それもまぁ仕方ないねと妻は理解してくれている。こんな状態に甘えさせてもらい、懲りずに実践の中で、練習をしていこう。アイスが食べたい時以外は、心は無重力状態だ。そうか、アイスを食べてから、練習すればいいんだ。そうすれば、完璧なはずだ。


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