初心忘るべからず

動けるようになったから、病院に来た。今日は3日ぶりだから、特別に高価なアイスコーヒーにした。265円である。いつもの2.5倍以上の単価だ。さすがにひと味ちがう。100円と180円はそんなに差がないけど、265円となると歴然とした味の差がでる。いったいどの行程でこんなに味がちがうのかな?やっぱり素材自体=豆なのかな?

「ごめんね。ぎっくり腰だったんだよ」<ウン>「今日は特別に美味しいコーヒー買ってきたよ。でももう氷はとけちゃったよ」<ウンウン>「じゃぁ、シロップとミルクどちらかだけなら、どっちがいい?」<パチリ>「ハハ、それじゃわかんないよ。じゃぁ、ミルクを上、シロップを下、入れたい方を見て」<視線が下へ>「そーか、シロップなんだね。念のため、もう一度ね。今度はシロップを上、ミルクを下だ。さー、どっちだ?」<視線が0.5秒程度の間、上へ>「よっしゃ、シロップだね。OK!そうしよう!」

この視線の上下は、宮ぷーとかっこちゃんに教わったのだけど、これだけハッキリした回答が得られたのは、今回が始めてだ!このシロップ入りのアイスコーヒーの数滴を口にいれる贅沢。本当に特別なものなのだろう。これも一つの欲望の現れだけど、それが反応を引き出すのなら、もっとどん欲になれと思う。健常者がどん欲だと、卑しいと言われるが、障害を持っている人がどん欲だと、回復への意欲があると言う事になったりして。本当は同じ「欲」なんだろうけど、しかし「良い事」だから、あまり深く考えずにそれでよしだ。ここで無欲になられても、困る(笑)

ここ3日間を取り戻そうと、それから早速、端座位となるわけだけど、やっぱり腰がよろしくない。腰をかばおうとして、なんだかへんに力が入って、結局、腰が痛い。ダメだなぁ。全然「コツ」なんてどこかに飛んでいなくなっていたのだ。全部完全に力任せだったのだとすると、妻も大変だったはずだ。「コツ」で起き上がると、患者側も楽なのだ。それは僕自身も体験した。このデブの僕を、握力8kgのかっこちゃんは、ヒョイと起こすのだ。車椅子にもヒョイと移動させる。力無しのかっこちゃんの場合は「コツ」以外で、相手を移動させることが出来ない。だから、移動させられる側も、力学的に理にかなっているので、とても楽に移動できるのだ。でももう僕はその「コツ」はわからない。ダメだなこいつ。うぬぼれてんじゃねーよ!とピシャリとやられた感じである。誰って?それはお天道様である。

と、端座位を終えてベッドに横にもどしたところで、歯医者さんが来てくれた。先日、口の中を覗き込んでいた看護師さんが、妻の虫歯を発見してくれた。あー、最近、シュガー入りのアイスコーヒーなんて飲ませているから、やばいなぁ。もちろん、コーヒーのんだあとは、ちゃんと歯磨きをしている。しかし、この虫歯、しみて痛ければかわいそうだ。でも、わからない。そんなわけで今日、歯医者さんに来てもらい、確認してもらった。

「あー、虫歯ですね。でも、以前の虫歯で進行が止まっているから、このままでいいでしょう」ということで、ほっとした。口をあけるのは、とてもたいへんだ。治療となると、相当、大変なことになるだろう。どこかで、やらないといけないかもしれないけど、今は放置ということでスルーすることになった。歯磨きをしっかりやっていこう。

今日は、腰の状態もまだイマイチだ。あとはテレビで許してね、ということで、担当看護師さんに歯医者さんの見解を伝えてから退散した。あーぁ。あーっぁ。僕はかっこちゃんの弟子だと思っていたけど、これじゃ落第だな。初心忘るべからず。・・・世阿弥のお言葉だ。これはとても深い味わいのある言葉だけど、今使われている意味とは本当はちがう。まさに、この今の僕の状態が初心である。下手くそなこの状態を、そしてこの腰痛を忘れてはならない。このことが、いつか役に立つときがくるのであろう。それにしても人間は本当に同じミスを繰り返す動物だとつくづく思う。というか、僕が特にそうなのかもしれない。この事に気がついたのは遅いが、気がつかぬより良かろう。腰の痛みも僕の先生である。

未分類 | 15:55:37 | トラックバック(0) | コメント(2)
肝腎要とぎっくり腰
2013-07-23 Tue
ぎっくり腰になった。
扇子ではつなぎ止めている金具のところを、要という。これが外れるとバラバラに崩れる。そんなところを要という。腰は身体の要である。にくづきに要と書くなどなるほどと思う。昨日リハビリをするときに、なんかおかしいと感じていた。かっこちゃんたちに、寝ているときの身体の移動方法や、身体を端座位に立てるときの方法などの「コツ」を教えてもらったのに、いつのまにか「力」まかせになってしまっていたのかもしれない。

かっこちゃんのように根本的に握力が8kgという、驚異的に力がない場合は、本物の「コツ」を体得しるし「コツ」を駆使しなくては、宮ぷーの身体はピクリともしないだろう。しかし、にわか仕込みの僕のようなのは「コツ」より「力」のほうが、簡単だったりするのだろう。

昨日、妻のリハビリをしているときに、ちょっと違和感があった。でも大丈夫だろうと、中腰を多用してしまったようだ。長距離の車の運転や毎日のほんの少しづつの負荷の連続が、こういう状態を招くのだ。腰をここまでダメにしたのは、昨年以来だ。ちょっと、過信していたようだ。こうならないと、そのことに気がつかない。

昨夜から僕は立ち上がるのが大変だ。靴下ははけない。暑いからいらないけど。たいして働いていもいないのにな。まったくがっかりである。それにしても、かっこちゃんの“力無し”と“体力”の反比例には驚きである。毎日、朝はみなさんご存知のメール配信、そこから仕事へ行き、仕事終わりで宮ぷーのとことに行って、ハードリハビリをリードして、20時に病院を出てから夕飯である。そこから、きっと翌日のメールの準備やら、気分によっては曼荼羅を書いたり、本のカバーを作ったりしている。ここのところは、アフリカへ思いを馳せているのだろう。それで土日は各地で講演である。

最初に講演を見に行った時に、身体は大丈夫だろうか?と心配した。あのスケジュールはどう考えても大変だと本当に心配になった。ところが思いはすでにアフリカである。きっと動物の食物連鎖のことや、生命の不思議に思いは広がっていることだろう。あの尽きぬ興味の塊が、生命を信じる力となり、その力は決してあきらめない粘り腰となる。超人とはこういう人のことをいうのだろう。握力8kgこそがかっこちゃんの「コツ」の要だ。弱みも強みとなる。

熱をだしたり、腰を痛めたり、まったく軟弱だと、母から叱られた(笑)文句を言えるように元気になったことは、めでたいことである(笑)今日は腰で体重を支えながら、身体を丸くして、寝ていることにしよう。妻は何故来ない?と待っているだろう。しかし、無理しても長引くだけであることもすでに経験済みだ。僕は超人にはむいていないようだ。人間はあきらめも肝腎のようだ。


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