何がほしいの?

マーケティングというのは、時代によって変わってきていることは肌で感じる。その急激な変化は、インターネットによって起こった。先日の近畿大学におけるホリエモンのメッセージはわかりやすかった。商品もそうで、ぼくらは、レコードがなくなることなんて、想像していなかったし、CDになったときには、こんなに小ちゃいの?とジャケット制作の面積が少なくなったことを残念に思ったものだ。そうしたら、いつの間にか、CDもなくなっちゃって、データになった。たしかに、欲しいものはこれなんだけど、そのデータもmp3が標準で、どうも勝手が変わってきた。いい音だの、原音がどうだのというより、アイデアがより重要になったとも受け取れる。ようするに、何が欲しいの?ということになってきているようだ。

いったいぼくらは何処を目指しているのか?人間はどこに行きたいのだろう?なんて、考えているうちに、世間の様子はドンドン変わっていく。それはそれでいい。易経がかかれた2500年前に、すでに変化しつづけるのが世の中であると書かれている。易経は英語では「book of changes」って言うそうだ。ようするに「変化の書」である。季節も人の世も常に変化しつづける。易の三義でいう「変易」だ。この三義というのは面白い。変易は、ようするに無常であることなんだけど、一時として変化しないものは無いということで、季節や桜を考えると、わかりやすい。そして、その法則は「易簡」であるという。簡単、簡易なことだよというのだ。簡単というより、シンプルといったほうがピンとくる。自然の流れ、水は上から下へ流れる、熱を加えると蒸発する。雨となって、雪となって、また地上へもどる。この循環システムが変化であり、シンプルであるというイメージでぼくは捉えている。そして「不易」だという。これは矛盾しているように感じるけど、いつまでも変わらない・・・不変であるという意味なんだけど、あれ?って思いますよね。でも、自然の循環システムはシンプルで、それは不変であるという意味です。
・・・と、ぼくの文章はどこへいこうとしているのだろうか?ぼくの場合は、変化しすぎる傾向がある。書きたかったことはちょっとちがうことだったはずだ。
そうそう「何がほしいの?」ってことを、マーケティングの話から入って書こうと思ったら、また寄り道しちゃった。最近のウェブ上でのマーケティングは、わかりやすく言えば、えげつない。人の痛みをつっついて、販売する方法がほとんどだ。たしかに、これは商売と考えれば、それはそれで正しいとも言えるのだけど、いつからか、儲ければ勝ち、儲からなければ負け、という世の中になってしまったように感じる。
でも、もしかしたら、今のほうが正しいのかもしれないとふと思う。かつては、権威やメディアがいうことは、最初から信じていたし、活字になっていると、それが正しいと勘違いしていたことは100もある。そういう意味では、自己防衛をしなくてはいけない時代というより、自己防衛ができる世の中になったのかもしれない。それにしても、いったいぼくらは「何がほしいの?」と考える。
ぼくの場合は、今、わかったんだけど、見返りがほしいのだ。人は無償の愛とかいっているのが正しくて、それがいいのだけど、そうはいかない。どうがんばってみても賢人になれない、凡夫であるぼくは、見返りがほしいということを今感じている。
妻の反応が良くなってきたことは嬉しい。どうも、これに比例した反応を、ぼくにたいしてやってほしいという強い欲求が腹の底にあるのだと今、気がついた。
ちょっと前までは、いいよ、いいよ、疲れているんだから無表情は当たり前。たまにきたお客さんには、サービスをしなくちゃね。ぼくはいいよ、無理しなくていいさ。なんて、賢人のようなフリをしていたけど、やっぱりぼくにもしてほしい。たまに来る、友達にも、息子たちにも、孫にもサービスはしてもいい。でも、やっぱり僕にもサービスしてほしいのだ。こうやって、久しぶりに散歩しても、眠っちゃう。気持ち良さそうに眠っちゃう。こんな時くらい、眼をあけて、サービスすればいいのになー。妻はもう少し、僕にたいしてのマーケティングを考えるべきである。きっと僕はすぐに引っかかって、喜んでどんどんリハビリすることになるだろう。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です