仁・義・礼・智

ふと松村先生のことを思い出した。

都内の打ち合わせで、お墓のそばに行くので、お墓参りをしようと思いながら、電車にのった。打合せお終え、墓地へと向かった。とても綺麗な都内の墓地。公園のように綺麗に整備されていて、しばらく、墓石にむかいお礼の言葉、そして近況をゆっくりと声にだして報告をした。

ぼくはこの先生ほど、仁=思いやり、義=筋の通った生き方、礼=人間関係を潤滑にする態度 智=善悪の判断・・・を明確にしながら、すっきりと生きた人を他にしらない。その一つ一つの態度に助けられた。こんな先生と、たまに酒を飲み、音楽の話をし、語りあえたことは、とても幸せだと思う。

先生のことは、よく思い出し、思い出すと涙が出る。そして、この涙は悲しい涙ではない。感謝の涙、それは、先生のあたたかい心にふれ、感じたときに溢れだした涙だ。

このブログは2013年、会社を退職した年から書き始めたが、その中の「ベッドサイドから見た景色」という妻のことの振り返りをした中にも書いたが、この感謝の記憶は、ぼくの心の奥ふかくに刻み込まれていて、いつも、思い出すだけで、感謝の涙がじんわりと胸に溜まる。

保険特点制度の問題、病院経営の問題点、など、初対面のぼくにストレートに対応してくれた院長先生だった。そして、転院するときに、外来の途中に、見送りに出てきてくれて「清美さん、またねー」と妻に直接、声をかけてくれた人です。この言葉は「次の病院で、1月程度で外に出されるけど、大丈夫だよ、そのときには、この病院にもどっておいで、またね。」という意味だった。ぼくは、すぐそれを察知して、ありがたくて、涙がでて、お礼をいいたかったが、涙で言葉がでてこなくて、ただただ頭を下げながら、民間の救急車、妻の移送車へ乗り込んだ。あの日が、つい先日のように思い出される。

人との出会いは本当にすばらしい。ちょっとした偶然の連続だ。この時代に生まれたこと、同時代を生きたこと。限りなく奇跡といっていい確率で、ぼくらを結びつけている。それは実は、日々当たり前にすごしている毎日も同じである。そんなことを、気づかせてくれたのが、先生と知り合ってからの、ほんの数年の日々だった。

忘れもしない2010年の5月に病院にいき、直接院長室で話をさせてもらった。
その日のことも、すでに書いてあるけど、とてもフランクで、ストレートで、正直で、心にすーっと言葉は入ってきて、一言一言が腑に落ちた。いいことも、悪いことも、今の世の中の仕組みの現実の中で、やれること、やれないこと。など、すべて教えてくれた。ありがたかった。

他にも、選択肢はあったが、その場で先生にお願いをし、その1週間後に先生の病院へ転院した。今思えば、それは、ぼくらの運命の分かれ道だった。それは、とても大きな分かれ道だったけど、今わかるけど、最良の道を選んだ瞬間だった。

人との出会いは、本当に不思議だ。

墓石には、1957.2.15〜2014.5.10と刻まれている。時は流れる。こうやって、いつかこの世を旅だつことは、人間だけでなく、万物の宿命だ。ぼくは順番さえまもれれば、いつでもいいかなっておもっている。あとは、妻を見送ることができればそれでいい。

焦る必要はない、いつかはその日がくる。先生と会える日を楽しみに、もうしばらく今生を楽しむことにしよう。


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