2月の夏空

風も暖かい2月。空には夏の雲が浮かんでいる。こんな小春日和という言葉も似合わぬ、小夏つむじ風みたいな陽気だ。この時期、低体温が不安だったが、今年はあまり低体温には悩まされていない。風に吹かれながら、目を閉じ気持ちよさそうに、キャンプ気分だ。

久しぶりに、アイスコーヒーを3滴、3滴、2滴、と3回も飲んだ。ストローを口にもっていくと、3回とも自分から口をあけた。イヤな時には口を結び、首をふるから、今日は味わってみたいという気分だったのだろう。

「いいね。こうやって、味わえるということは、生きて行く上で、ものすごい楽しみだよね。こうやって、キャンプにも行きたいなぁ。今のままじゃ、ワインも飲めない。ホルモン焼きまでは難しいとしても、ワインくらい飲めるようにしたいよねー」
<ギロリ (・・・バーカ、そんな簡単な話じゃないのよ、と強い目)>
というようなやり取りをしながら、お外にしばらくいた。しかし、風が強くなってきたので、寒くはないけど、目に埃がはいるといやだから、退散した。
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TIME

あまりに普通の話でいやなんだけど、最近、つくづく年齢を感じる。まったく、この年にならないと、わからないことがある。小説だって、作家の年齢以上の人物のことを書くときには、なかなか難しいことがあるはずだ。急に、ある大御所歌手のぼやきを思い出した。若手マネージャーがついたときのあるイベントに、ぼくが同行した食事のときに 「西嶋にはわかるだろ? 年を取るとな、きついんだよ。若いやつらにはわからんのだ。スケジュールの入れ方に手加減がない。体のきつさが、こいつらにはわからん」・・・とぼやいていたことを思い出した。もう7〜8年前の話だ。ぼくもその年齢に近づいた。 続きを読む


シンプルライフ

妻は映画好きです。ドーンとかバーンとかいうのは好きじゃなくて、日本映画のしっとりしたのが好きみたいです。先日、テレビで「ツナグ」をやっていたので録画し、もってきました。

テレビ放送ではOAタイムの調整のため、すでにカットされている部分もあるかと思いますが、それにCMを被せながらチャンネルを変えさせないようにしてある部分などもカットすると、90分くらいになり、妻に見せるには丁度いい時間になります。処置の時間の合間に、マッサージ、端座位、そしてテレビタイムとなるので、これ以上長いと中断して、また続きを見るとかしないといけませんが、90分くらいだと、タイムスケジュールを計画的に調整すれば、通して見ることができます。

映画とかは、必ず一度自分で見てから妻に向いてそうなものを見せます。体が動かせないので、受け身にしかできない環境では、嫌なものも拒否することが出来ません。なので、残虐なシーンや、怖いものは、排除しています。しかし、感情が動かされるものでないと、興味が湧きません。それは、映画も音楽も同じだろうとおもいます。なので、感情のベクトルがフィットしていると思われるもの、また、感情が動かされても「いい刺激」につながるものと判断できるもののみを、見せるように心がけています。そんなわけで、あまりテレビを見ないぼくも、妻のおかげでテレビを見ることがあります。

先日「ツナグ」を見ました。 続きを読む


Anniversary

昨日は、31年の結婚記念日だった。
1日遅れのプレゼントを渡しに病院に来た。

最近、アモーレなお二人と知り合い、その旦那さんの正面から意志を伝える姿をみて、いい夫婦だなと心から思った。妻が倒れてここ7年間は、一生懸命にやってきたと思うけど、結婚してから倒れるまでの24年間はいったいどうだったんだろうな。あの旦那さんみたいに、正面から妻と向き合うようなことがあっただろうか?・・・全然やっていないな。

そんなアモーレな二人に触発され、1日遅れのプレゼントは、バラでコーディネートしてみた。
バラ一輪と、ローズのボディミルク。

手足をマッサージして、端座位して、そして今はファミリーヒストリーをみている。
ゆったりとした、ささやかな記念日でした。


仁・義・礼・智

ふと松村先生のことを思い出した。

都内の打ち合わせで、お墓のそばに行くので、お墓参りをしようと思いながら、電車にのった。打合せお終え、墓地へと向かった。とても綺麗な都内の墓地。公園のように綺麗に整備されていて、しばらく、墓石にむかいお礼の言葉、そして近況をゆっくりと声にだして報告をした。

ぼくはこの先生ほど、仁=思いやり、義=筋の通った生き方、礼=人間関係を潤滑にする態度 智=善悪の判断・・・を明確にしながら、すっきりと生きた人を他にしらない。その一つ一つの態度に助けられた。こんな先生と、たまに酒を飲み、音楽の話をし、語りあえたことは、とても幸せだと思う。

先生のことは、よく思い出し、思い出すと涙が出る。そして、この涙は悲しい涙ではない。感謝の涙、それは、先生のあたたかい心にふれ、感じたときに溢れだした涙だ。 続きを読む


ぼくらの端座位ライフ

ここのところの、端座位&首の運動は、安定感のあるプロフェッショナルの域に突入している。まぁ、端座位のプロとか、首の運動のプロという人に会ったことがな~いので、プロフェッショナルの定義というのはないのだけれで、顔つきの話である。

顔つきがいい。
いつもの無表情の中にある不敵な面構えとでもいうのか、貫禄がある。これがプロっぽいということにつながる。

しばらく、端座位をしていると、自分から頭を前にポンと投げ出して、トレーニングをはじめる。以前は、ガクンと頭が落っこちていたのだけど、最近は、首の筋肉の使い方が上手になっていて、ソフロランディングするのは当たり前。時には、頭が倒れる途中で、しばらくキープしたり、様々なことを試しているようです。

ベッドのの端に座り、北側の窓から、空をみあげる。いつも同じ空だけど、雲の形がちがったり、今日は風がつよくて、上空には黒い雲の勢力と、白い雲の勢力があり、その間を青空が川のように流れている。 続きを読む


結婚の頃

今日の妻の端座位は、気合がはいっていた。きっと、彼女の中に目標があるのだろうと思う。最近、ぼくは気功を再開したので、リラックスの方法を、端座位に組み入れてもらいながら、ぼくからも気を送るというほうほうで、今日は端座位を30分ほど行った。

今日は、妻の端座位をしながら森川さんの話をしていた。森川さんのディレクターをやっていた、1985年から89年のことを、メールマガジンで配信しようと計画しているのですが、いろいろ、思い出してみると、とても面白い。面白いだけではなく、恥ずかしいこともある。あんなこともあった、こんなこともあった。

前にも書いたかもしれないけど、ぼくは結婚式の前々日も前日も森川さんのレコーディングで、そのあと結婚当日の朝まで飲んで、式場には二日酔いでタクシーでかけつけた覚えがあります。

前日レコーディングしていたのは、たぶん「赤い涙」という曲だったような気がします。そんなギリギリまでやらなくちゃいけない理由があったはずで、たぶんリリースのため締め切りがギリギリだったからです。秋元康さんの歌詞が遅れて、ギリギリで歌入れのその日にファックでとどいた歌詞をそのまま歌ったような覚えがあります。・・・あー、こういうの森川さんのメルマガで書いたほうが・・・・いやいや、あっちにはもっと大ネタがあるから大丈夫です(笑) 続きを読む


十年一昔

この言葉を聞いたのは、小学生の頃だったか。きっとそういうものだろうと思っていた。ところが、ある頃から、時代の変化は速くなり、とくにITの世界では、半年一昔くらいのスピードとなっていっている。ところが、自分の体感としてはどうだろう。考えてみると、これは不思議なことに、時間感覚がカテゴリーに分かれて存在しているのではないかと感じる。

たとえば、子供の成長という視点でみてみれば、それが赤ちゃんから10歳までは、かなり大きな変化があり、そりゃぁもう十年一昔といえる。しかし、50歳からの10年といえば、なんかそれはつい最近の話という具合だ。さらに、レコーディングのような限定的な話になると、もうそれは20年前も、10年前も、あまり意識として変わりがない。テクノロジーの変化ということでいえば、まったく大きな変化があるわけだが、ぼくらが強く意識をもち対峙している本質は変わらない。 続きを読む


小さな公園の夫婦杉


本日は、少しご機嫌がなおっていた。やはり、時間というのは大切。悲しみも、怒りも、時間がおちつかせてくれるものなのでしょう。これも、脳がうまく機能している証拠です。悲しみっぱなし、怒りっぱなし、あるいは、喜びっぱなしの人生は、大変すぎて成立しないでしょう。

この写真の公園は、家から駅まで歩く途中にある公園です。今日、病院へ来る途中、空と2本の杉と影があまりにバランスがよくて綺麗で思わず写真をとりました。この杉を意識しはじめたのは、妻が倒れた時からでした。なんとも、なかよく並んでいて、それからは夫婦みたいだなぁと毎日眺めながら駅まで歩いていた。

それまで、なんとも思っていなかった景色や、ヒヨドリのつがいに、意識が敏感になっていたよなぁと思いながら、しばらく公園に一人ぼーっと立ってこの2本の木をながめていた。

昔から、人は山岳信仰や、太陽神や、海や山、あるいは木、岩、石にいたるまで、自然を神にしたりして、お手本にしてきた。それと同じことを当時のぼくはやっていたのだろうなと思いながら、ぼーっと眺めていた。 続きを読む


人間交差点

今日は、風が強くて、外にはでれなかったものの、あたたかなお正月、三が日でした。今日は、デイルームでしばらく、強風で揺れる桜の枝を見て、あとはテレビで漫才を見ていました。

途中、70代の男性の患者さんが車椅子で、親戚につれられてやってきました。50代の夫婦らしき方が、80歳くらいの男性をお見舞いに連れてきたようです。
50歳くらいの女性は、しきりに「**のおじさんが来てくれたよ。わかる?」となんども声をかけておられた。高齢のおじさんが、どこか遠くからお見舞いに来てくれたから、わかってほしいという気持ちもともなったフレーズだったろうと思う。

ぼくは、ふと「わかってるよ。でもアウトプットできないんだよ。」って心の中でおもいながら、声をするほうをふりむいた。あー、ほら。目がもう確実に意味のある目を、その80歳のおじさんにむけている。声はだせないし、瞬きとか、アクションはないのだろうけど、あそこまで、しっかりと意味のある目をみれば、わかっているのは確実だな。・・・と思うのだが、女性はサービスもふくめてだろうが、「**のおじさんが来たんだよ。わかる?」・・・繰り返していた。サービスとは、片方が犠牲になるものかもなとおもいながら、その状態をながめていた。 続きを読む